月刊誌リジョイス 聖書日課 2022年11月28日(月)

マラキ1-2章 主はあなたを愛しておられた

  

わたしはあなたたちを愛してきたと
主は言われる。
しかし、あなたたちは言う
どのように愛を示してくださったのか、と。(マラキ1:2)

 主を信じて信仰生活を送り始めてから今日に至るまで、自分が思い描く理想の姿と離れていることに嫌気がさしたことはありませんか。初めて主の愛と救いの恵みを知って洗礼を受けた。主への信頼から信仰告白をした。それにもかかわらず、全く変わっていないように思える。信仰生活が惰性的に進んでいるように思えて仕方ないこともあります。

 イスラエルの民も、エルサレム神殿再建時に聞いた約束が少しも実現せず、思い通りにならない経験をしました。そのため信仰生活に陰りが生じます。次第に主への不満が強くなり、信仰生活が堕落したのです。祭司は腐敗し、主への献げ物にも心が伴わない。異教徒との関わりから聖書の掟を忘れ、主が与えてくださった家族を裏切るまでに堕ちてしまいました。「主の約束はどうなってしまったのか」との疑問は、やがて主に対する反論を生じさせ、主の語りかけに対しても論争的で聞く耳を持とうともしなくなります。「どのように愛を示してくださったのか」と。

 主は預言者マラキを通して、ご自分から離れて罪に留まり続ける民の姿を指摘しつつも、「わたしはあなたを愛してきた」と語りかけます。私たちに対する主の愛は、これまで途切れることなく注がれていたのです。

 【祈り】 主よ、あなたの約束が実現していないように思える時にも、あなたの愛を思い出せるようにしてください。

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