月刊誌リジョイス 聖書日課 2022年11月10日(木)

ゼカリヤ6-8章 断食の日が喜びの日となる

  

あなたたちは食べるにしても飲むにしても、ただあなたたち自身のために食べたり飲んだりしてきただけではないか。(ゼカリヤ7:6)

 6章後半からは「主の言葉」による預言です。7章には「ダレイオス王の第4年」と1章の2年後であることが記されます。神殿はまだ建設途上であり、忍耐が続いています(エズラ6章15節参照)。

 6章後半で神は、引き続き指導者を祝福し、神殿再建を約束します。しかし続く7章では、イスラエルの欠けを指摘します。それは信仰生活の形骸化です。捕囚以来、民は断食日を定めていました。神殿が破壊された5月(王下25章8節)、総督ゲダルヤが暗殺された7月(同25節)。さらに8章には、城壁が破られた4月(エレ39章2節)と、バビロンが都を包囲した十月(王下25章1節)にも断食をしていたとあります。みな捕囚を振り返り、悔い改めを表す日でした。しかし、ゼカリヤは、その断食が自分自身のためになっていると指摘します。形として守っているものの、思いが神にも隣人にも向かっていないのです。

 神にも隣人にも誠実ならば、断食の日は悲しみの日ではありません。「喜び祝う楽しい祝祭の時となる」(ゼカ8章18、19節)。「あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい」(1コリ10章31節)。

 【祈り】 私たちが礼拝においても日々の生活においてもあなたに心を向け、隣人に仕えることができますように。

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