月刊誌リジョイス 聖書日課 2022年10月17日(月)

テトス1-2章 神の義と愛のあえるところ

  

キリストが…御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。(テトス2:14)

 神はまことに恵み深い方です。と同時に恵みを示した私たちにご自分を強く主張されます。そのとき、私たちの内にあるさまざまな抵抗は打ち砕かれます。それは神を心から恐れることによって知り得ます。神の恵みが深ければ深いほど、私たちの内に抑えておけないさまざまな悪や欲望や抵抗があぶりだされます。

 神の啓示はまさに神の愛の啓示です。それゆえに反対する私たち人間に対して立ち上がる啓示となります。そうです、信じられないことですが、そのような私たちの反対の中でさえ、神が本質的に愛であり恵みであるお方として一層認識されます。

 その愛の啓示は、御子イエス・キリストの十字架の場面に刻み込まれました。そこにおいて敵対者の悪と神の義と愛が交差しました。私たちの生活は十字架の前で完全に覆いを取られました。そのようにして、私たちがどのような罪深い者であることかがえぐりだされました。しかし、主キリストの十字架により、あらゆる悪があぶりだされたからこそ、それらの罪が贖われ、私たちは救い出され清められたのです。

 パウロは若いテトスを遣わすにあたり、十分な権威をもって語り、勧め、戒め、侮られないようにと諭します。

 【祈り】 ここは教師任職式を思い出す重たい言葉です。尊い務めであるがゆえに、キリストが仕えてくださったように、用いたいものです。

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