月刊誌リジョイス 聖書日課 2022年9月21日(水)

エゼキエル36章 わが聖なる名のため

  

わたしは、お前たちが国々で汚したため、彼らの間で汚されたわが大いなる名を聖なるものとする。(エゼキエル36:23)

 イスラエルの民の歩みが御前に汚れたものであったために、主の憤りが民に注がれます。その結果、民は他の国々に散らされ、裁きを受けることになりました(16〜19節)。にもかかわらず民は、散らされた先の国々で、さらに主の聖なる名を汚します。しかし、主はその民に対してこう言われます。「わたしは、お前たちが国々で汚したため、彼らの間で汚されたわが大いなる名を聖なるものとする」と。

 エゼキエル書では、あくまでも主の名こそが聖とされるべきことが繰り返し述べられています。お前たちのためではなく民に汚されたわが聖なる名のために、と繰り返し語られます(22節、32節)。私たちのためではなく、主の聖なる名のためにと聞くとき、私たちは自分たちが軽視されているように思うでしょうか。

 しかしむしろ、主の名が聖とされるときにこそ、民に新しい心と霊が与えられ(26節)、掟に従って歩み、自らの悪い行いを嫌悪し(31節)、恥じる、と語られます。「御名が崇められますように」(マタ6章9節)と主の名を祈り願う私たちに、主は必ず応えてくださいます。主の名を願うときにこそ、私たちの心と霊も新しくされ、心からの悔い改めと新しい服従へと導かれるのです。

 【祈り】 天の父よ、人間ではなく、あなたご自身を第一とする新しい心と霊を私たちの内に与えてください。

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