月刊誌リジョイス 聖書日課 2022年9月19日(月)

エゼキエル33章 罪と裁きの果てにある主の救い

  

我々の捕囚の第12年10月5日に、エルサレムから逃れた者がわたしのもとに来て言った。「都は陥落した」と。(エゼキエル33:21)

 捕囚の地であるバビロンに連行されたエゼキエルは、そこで主から預言者として見張りの務めを与えられます。彼は主の裁きがエルサレムに迫っていることをイスラエルの民に告げます。さらに悪人が立ち帰ること、ただこの一つのことが主の求めておられることだと語ります。

 しかし、エルサレムから逃れた者によって、「都は陥落した」との決定的な知らせがエゼキエルにもたらされることになりました。

 23節からは、もはや廃墟となったイスラエルに住む民の誤った誇りと都の荒廃が語られ、30節以降でもエゼキエルの警告は民に真剣に届いていない様子です。

 このような惨憺たる神の民の状況がある中で、しかしエゼキエル書では都の占領という決定的出来事をきっかけに、これ以降主の救済が語られることになります。

 民の罪が明らかにされ、主の裁きさえなされる時に、その向こうに広がる主の救済が明らかにされます。それは、あくまでも悪人であり裁きに値する人間を救う主の救済です。

 私たちは、私たち罪人の裁きを十字架上で全て引き受けられ、復活によって罪と死に輝かしい勝利をされたイエス・キリストの神をただ仰ぐほかはないのです。

 【祈り】 主よ、私たちの背きや過ちさえも明らかにされる中で、あなたの御救いに豊かに与らせてください。

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