月刊誌リジョイス 聖書日課 2022年9月15日(木)

エゼキエル18章 お前たちは立ち帰って生きよ

  

「わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ」と主なる神は言われる。(エゼキエル18:32)

 今日の箇所には、イスラエルの民の間でもてはやされていた一つのことわざが出てきます(2節)。先祖の善悪の行いに応じて、その子孫に報いが生じることを意味しています。

 確かに、主を否む者には父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うと言われます(出20章5節)。しかし、このことわざからも、民は結局自分のすべての罪を先祖の責任とし、肝心の自らの罪に向き合うことがなかったのかもしれません。

 その中で、エゼキエル書は個人の責任を明確にします。もしある人が正しく生きるならその人は正しい人であり(5〜9節)、その息子が乱暴者であるならその罪故に彼は死に(10〜13節)、さらにその子が父の行為を見て反省するならその子は彼自身が立ち帰った故に生きることになるのです(14〜20節)。

 ここで述べられている主の御心は、あくまでも自分自身がすべての背きから立ち帰ることにあります。そのように主に向けられた心こそ、「新しい心と新しい霊」です(31節)。

 「お前たちは立ち帰って、生きよ」と言われる主は、私たちのような者をも立ち帰らせてくださり、その心と霊を新たにすることがおできになる方です。この主に応えて、私たちは生きる者でありたいと思います。

 【祈り】 私たちに自分の罪に向き合わせ、心からあなたに立ち帰って生きる者とさせてください。

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