月刊誌リジョイス 聖書日課 2022年9月 2日(金)

哀歌1-2章 哀しみから知りえる神に帰る道

  

主の御前に出て 水のようにあなたの心を注ぎだせ。(哀歌2:19)

 哀歌は、古くは「エレミヤの哀歌」とも言われました。七十人訳ギリシア語訳聖書では序文があり、「イスラエルが捕囚となり、エルサレムが荒廃して後、エレミヤは座して泣き…」という言葉で始まります。

 「夜もすがら」(1章2節)泣いていた詠い手は、立つ力を失っていました。すべてが終わってしまった、という現状を目の前にしているからです。

 絶望は、死に至る病と言われます。それは、私たちを日に日に「病み衰えさせ」ます(1章13節)。

 しかし、人には命に至る悔い改めが残されています。神に帰る道です。この詠い手は言います。「主は正しい。わたしが主の口に背いたのだ」(1章18節)。荒廃した現実は、神から離れた、という罪を思い起こさせます。

 町が崩壊し、「育てた子を食い物にしている」(2章20節)とまで言われる悲惨な状態。それは他人ごとでは済まされません。だからこそ「シオンの城壁よ」と町全体に呼びかけます。「昼も夜も、川のように涙を流せ。休むことなくその瞳から涙を流せ」(2章18節)。今は哀しむ時だ、と。

 哀しむことによってしか知りえない神に帰る道。それをこの哀歌は私たちに教えてくれます。

 【祈り】 神様。涙を忘れてしまうことがあります。どうか、痛み、哀しむことのできる真心を与えてください。

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