月刊誌リジョイス 聖書日課 2022年9月 1日(木)

エレミヤ46-52章 罪が赦される神の時は必ず来る

  

その日、その時には、…ユダの罪も見いだされない。わたしが、生き残らせる人々の罪を赦すからである。(エレミヤ50:20)

 エレミヤは、かつて神から呼びかけられたとおり(1章10節)、諸国民に向けてもその言葉を残しました。

 エレミヤ書だけでなく、イザヤ書やエゼキエル書などの預言書にも諸国民への預言はあります。なぜなら、神はイスラエルの神だけでなく、全世界の主であるからです。

 神は歴史を導きます。神のご支配には国境がありません。大国も小国もそれらは滅びる時があり、建てられる時がある。「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない」、との言葉を思い起こします(コヘ3章11節)。

 ユダを滅ぼしたバビロンも神が用いられる国であり、その役割を超えて自ら神となることは許されていません。その偶像は滅ぼされます。ですからその中にいるイスラエルに、「おのおの自分の命を救え。バビロンの悪のゆえに滅びるな」と神は語りかけます(51章6節)。

 神の時は来ます。そして「その日、その時には」、「罪も見いだされない」神の国が完成します。

 主イエスは言われました。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マコ1章15節)。

 【祈り】 神様。しばしば時を見誤る私たちです。しかしあなたのもとには罪の赦しがあります。感謝いたします。

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