月刊誌リジョイス 聖書日課 2022年8月26日(金)

エレミヤ25章 神の怒りによって見える立ち帰る道

  

お前たちは貴い器のように砕かれて倒れる。(エレミヤ25:34)

 20年以上も、エレミヤが語る主の言葉は、ユダの民に聞かれませんでした(3節)。神に造られた彼らは、ただ「自分の手で造った物」を大切にしていました(7節)。神をも所有する感覚が、自由だと思っていたのです。

 神の言葉に聞き従わないことで、ユダの民は神の怒りを招きます。それは70年にも及ぶバビロンの支配というかたちでした。しかし、時が来ると、そのバビロンも荒れ地となると、エレミヤは預言します。

 これは、ユダの民、バビロンだけの物語ではありません。「主は、諸国民と争い、肉なるものをすべて裁」くと言われます(31節)。主に逆らう者がことごとく滅ぼされると言うのです。「その日には、主に刺し貫かれた者が地の果てから地の果てまで、嘆くこともなく横たわる」(33節)と。

 もちろん、神の目的は、人を滅ぼすことではありません。人が神のもとに立ち帰って共に歩むことです。その道のりは決して平たんなものではありません。苦しみがあります。砕かれて倒れるときもあります。しかしその一つ一つが、神の御計画の中では無駄にはならず、むしろ用いられます。主はときに激しい怒りをもってのぞまれますが、それほどに人に無関心ではいられないのです。

 【祈り】 主よ、誰があなたの御怒りに耐え得るでしょうか。主イエスのほか、誰もいません。感謝いたします。

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