月刊誌リジョイス 聖書日課 2022年8月24日(水)

エレミヤ9-17章 主よ、あなたがいやしてくださるなら

  

主よ、あなたがいやしてくださるなら
わたしはいやされます。
あなたが救ってくださるなら
わたしは救われます。(エレミヤ17:14)

 見向きもされない神の言葉を一人抱え込んでいるエレミヤは、自分の命を呪います。エレミヤは言います。「ああ、わたしは災いだ。わが母よ、どうしてわたしを産んだのか」と(15章10節)。故郷アナトトの人びとからは、「死にたくなければ」もうこれ以上語るなと脅され(11章21節)、「兄弟ですら信用してはならない」(9章3節)と神から言われる世にあって、彼の望みが絶たれるのは無理もありません。

 さらに「この民のために祈り、幸いを求めてはならない」とまで神に言われたならば(14章11節)、一体何を求めればよいのでしょうか。「とらえ難く病んでいる」(17章9節)人の心と神の滅びの預言を前にして、何かを求める力さえ失われてしまいます。死を待つだけ。破滅を待つだけ。そこには声にならないような呻きがあり、とめどもなく溢れる涙があります。しかし、神はその「悲しみを表すな」とも言われます(16章5節)。

 生きる力そのものを削がれるような環境で、なおも神を信じることができるのは、奇跡であり、神の業そのものです。エレミヤはひとり、神に言います。「主よ、あなたがいやしてくださるならわたしはいやされます。あなたが救ってくださるならわたしは救われます」(17章14節)。

 【祈り】 神様。あなたのみが、いやし主です。救い主です。きょうもあなたを信じる心を与えてください。

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