月刊誌リジョイス 聖書日課 2022年8月 3日(水)

イザヤ53章 今あるのはキリストのおかげです

  

屠り場に引かれる小羊のように
毛を切る者の前に物を言わない羊のように
彼は口を開かなかった。(イザヤ53:7)

 バビロン捕囚末期、紀元前6世紀後半、不思議な預言の言葉が語られます。500年後、この預言はイエス・キリストにおいて成就しました。憎まれて捨てられていく苦難の生涯を、神の啓示の言葉と神の霊に導かれてたどるとき、イエスこそ、イザヤ書53章が語っていた「彼」であったと理解することができます。主イエスご自身もこのイザヤ書の御言葉をもってご自分について証しをされました(ルカ4章16〜21節)。

 神の御子が、屠り場に引かれる小羊のように、捕らえられても抵抗せず、裁判の場でも自己弁護をせず、磔刑すなわち十字架刑をお受けになられました。全人類のための罪の贖いという父の御心を果たすためです。このお方は人びとから軽蔑され、見捨てられ、私たちの罪を負って神から呪われた者となってくださいました。この方の受けられた苦難こそ私たちの罪の身代わりであり、ここに罪の赦しと癒しがあります。

 私たちは、地に落ちたキリストの一粒の麦によって生かされ、新しく生まれた者です(ヨハ12章24節)。私たちは彼の受けた傷によって癒されました。ですから、きょうも一日、キリストの癒しの恵みに感謝し、神の栄光のために生きるのです。

 【祈り】 主なる神よ、私たちが今あるのはキリストのおかげです。生涯、キリストのもとにとどまることができますように。

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