月刊誌リジョイス 聖書日課 2021年11月 5日(金)

ネヘミヤ1章 始まりは嘆きを共にすることから

  

「捕囚の生き残りで、この州に残っている人々は、大きな不幸の中にあって、恥辱を受けています。エルサレムの城壁は打ち破られ、城門は焼け落ちたままです。」
これを聞いて、わたしは座り込んで泣き、幾日も嘆き、食を断ち、天にいます神に祈りをささげた。(ネヘミヤ1:3-4)

 ネヘミヤ記は、ネヘミヤの祈りから始まります。それは、捕囚を免れてエルサレムに残っているユダの人びとの惨状に対する嘆きの祈りでした。

 ネヘミヤ自身は、異国の地で生まれています。しかも彼は王の献酌官を務め、安定した生活を送っていました。エルサレムに親しい人がいたわけではないでしょう。エルサレムの惨状が、彼の生活に何か悪い影響を及ぼすわけでもありません。それでも彼は、そこに住む同胞の痛みを共にします。座り込んで泣き、幾日も嘆き、食を断ち、神に祈りをささげるのです。

 今、無関心と自己責任が世界をおおっています。それは自分と誰かとの間に線を引き、嘆いている人びとを自分とは関係ない存在として突き放すことです。ネヘミヤは違いました。自らの生活には影響しない同胞の民の嘆きを、自らの嘆きとしました。それを引き起こした原因として自らの罪を告白し、憐れみを神に祈っています。共に重荷を担うことによって、無関心と自己責任を打ち破る祈りがここにあります。ネヘミヤのこの祈りから、城壁の再建という神の御業が始まっていきます。

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