月刊誌リジョイス 聖書日課 2021年5月 8日(土)

2テサロニケ1章3-12節 生ける者と死ねる者とを審きたまわん

  

神は正しいことを行われます。あなたがたを苦しめている者には、苦しみをもって報い、また、苦しみを受けているあなたがたには、わたしたちと共に休息をもって報いてくださるのです。(2テサロニケ1:6-7)

 世の終わりにキリストが再び来られるのは、裁きのためです。そのとき生きている者も、すでに死んでしまった者も、すべての者が神とキリストの裁きの前に立つことになります。この世の裁きは間違えることがありますが、神は正しい裁きを行われます。

 この裁きは、罪人にとっては恐ろしいものです。人の裁きは逃れても、神の裁きを免れることはできません。しかし、その裁きのために来られるキリストは、私たちの救い主です。キリストの裁きは、罪人か義人かを見るのではなく、信仰によって救いの恵みを受け取ったかどうかを見ます。キリストを信じる者は、もはや裁きによって滅ぼされることはないのです。

 神の公正な裁きを知る者として、私たちは畏れをもって生きていきます。救い主であるキリストの裁きを知る者として、感謝をもって生きていきます。そして、この世では信仰者として不当な苦しみを受けることがあったとしても、「休息をもって報いてくださる」神の裁きに希望を置いて、忍耐をもって生きていきます。世の終わりには、この世界すべてが神の安息に入れられて完成へと至るのです。

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