「それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」(マタイ6:18)
善行について教える1節の御言葉を受けて、16節からは断食に関する事柄が扱われています。
当時、他人へのアピール、自己訓練に熱心であることを表明する意味で断食が行われることがありました。しかし、断食はあくまで、神との「縦の関係」の中で行うものです。神の御前に自らの欠点や弱さ・甘さ・罪などを、ひと時生きること(食べること)を止めてでも見つめる行為、あるいは自分の命と引換えでも神に心から願う行為、その意味で断食は神への信頼から行なうべき行為でした。
断食は、その意味で祈り(5-15節)に等しい行為です。あくまで父なる神との間の行為だからです。あなたの心が、父なる神との密な関係の中に置かれていることが問われています。
このことを話されたキリストご自身、父なる神への従順を徹頭徹尾、示されました。ご自身の思いをいつも父なる神へと向け、その父の御心に従って十字架へと向かわれました。
今年のレントを歩み始めた私たちは今一度、心が神へと向いているのか、御言葉から問いつつ歩みたく思います。
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