聖書を開こう 2024年9月12日(木)放送

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ:  わたしたちの病を担うキリスト(マタイ8:14-17)



 ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 健康な人にとっては、どこに出かけるにも特別な思いというのはないかもしれません。年を取って健康寿命が気になり始めると、こうして出かけることができるのも、あとどれくらい続くのだろうかと思うことがあります。

 また、いつでも行けると思ううちは、一度くらい行くことができないことがあっても、大したことではありませんが、いつでも行けるとは思えない年齢になると、一回一回の外出でさえ、貴重と思えるようになってきます

 私自身はまだそこまでは年を重ねてはいませんが、若いころ、教会に集うお年寄りたちが、一回の礼拝に集うために一週間の健康管理に気を遣っていたのを思い出します。

 きょう取り上げる箇所には、熱を出して寝込んでいるペトロのしゅうとめの話が出てきます。ペトロのしゅうとめがいくつぐらいの年齢なのかは記されていませんが、ペトロの年齢がイエス・キリストとほぼ同じ30代だと考えると、その母親の年代は40代後半から50代半ば頃であったのではないかと思われます。現代の高齢化社会から見れば、まだまだ若いと思われるかもしれませんが、その時代の感覚では、もうあと何年生きることができるのかと、意識し始める年齢です。

 それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書 マタイによる福音書 8章14節〜17節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 イエスはペトロの家に行き、そのしゅうとめが熱を出して寝込んでいるのを御覧になった。イエスがその手に触れられると、熱は去り、しゅうとめは起き上がってイエスをもてなした。夕方になると、人々は悪霊に取りつかれた者を大勢連れて来た。イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を皆いやされた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。「彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った。」

 きょうの個所はマルコによる福音書にもルカによる福音書にも記されている出来事です。マタイによる福音書が他の福音書と違っているのは、この出来事がいつの出来事なのかをはっきりと記していない点です。マルコもルカも、直前に描く話は安息日の出来事ですから、この日も安息日の続きであったことが推測できます。また、この二つの福音書はイエス・キリストが会堂を立ち去ってペトロの家に入られたと記していますから、この出来事が同じ安息日の出来事であったことは一層明らかです。

 もっともマタイによる福音書にも、この日が安息日であったことをうかがわせる記述がないわけではありません。

 夕方になって人々がイエス・キリストのところへ大勢の病人たちを連れて来たことが記されています。つまり、言い換えれば、夕方までは病人を癒してもらうことが許されない安息日であったということです。

 この日が安息日であったということが明らかになると、この日の出来事は色々な意味で興味深さを感じます。

 まず、イエス・キリストはなぜペトロの家を訪問したのでしょうか。ペトロのしゅうとめが熱で寝込んでいることを耳にしたからでしょうか。つまり、安息日であるにもかかわらず、最初から病を癒すためにペトロの家を訪問したということでしょうか。もしそうであるなら、ここには安息日についてのイエス・キリストの考えがはっきりと表れています。

 そこに表れたイエス・キリストの思いとはこうです。イエス・キリストは、安息日の礼拝を妨げ、安息の意味をそこなうようなものは、それが何であれその束縛から人を解放することを願っておられるということです。そういう意味でイエス・キリストはまことの安息をもたらしてくださるお方です。

 イエス・キリストがペトロの家を訪ねた経緯についてもう少し考えてみましょう。もし、ペトロのしゅうとめが熱で寝込んでいなかったとしたら、ペトロの家を訪ねることもなかったでしょうか。おそらくそうではなかったでしょう。

 当時は会堂での礼拝の後、ラビたちを家に招いて食事をすることが一般的でした(ルカ7:36以下参照)。ですから、ペトロの義理の母親が熱で寝込んでいなかったとしても、ペトロの家族に招かれて訪ねて行った可能性はあります。その場合のことを想像してみると、そこにも面白い発見があります。

 安息日に食事の準備をすることは律法で禁じられていましたから、安息日の食事は前の日から用意する必要がありました。もし、イエス・キリストとその弟子たちが食事に招かれていたとすると、その準備は当然前日になされていたはずです。もし、準備の前や準備の途中でしゅうとめが熱を出して寝込んでしまったならば、招待そのものがキャンセルされていたことでしょう。

 けれども、全部の準備を終えて、次の日の朝になって突然熱に襲われて寝込んでしまったのだとしたらどうでしょう。会堂には彼女の姿は見当たりません。イエスと行動を共にしていたペトロですから、ペトロ自身も家で何が起こっているのかなど、知る由もなかったことでしょう。

 そうだとすると、礼拝の後イエス・キリストがペトロの家を訪ねたのは、会堂にいるはずの人がいないことを心配してのことであったことがわかります。イエス・キリストというお方は正にそういうお方です。いなくなった一匹の羊のために、時間を惜しまれないお方です。

 一方ペトロのしゅうとめの立場でこの日の出来事を考えるとするならば、あと何回、礼拝を守ることができるのか、そして、その中でイエス・キリストを食事にお招きすることがあと何回できるのか、そういう中での話です。ペトロのしゅうとめは突然の熱で寝込んでしまったことをとても恨めしく感じたことでしょう。

 そうであればこそ、そこに訪ねて来て下さったイエス・キリストをどれほど嬉しく思ったことか、想像することができます。その喜びは、熱を癒していただいた後の、彼女の行動からもうかがわれます。

 「しゅうとめは起き上がってイエスをもてなした。」と福音書はその様子をつづっています。

 直ちにおもてなしをすることで、ペトロのしゅうとめは精一杯の感謝の気持ちを表しています。そのことはまた、神への感謝について、わたしたちに問いかけるものがあります。この行動に現れているのは、ただただ感謝の気持ち以外にはありません。

 この出来事に続いて、夕方になって安息日が明けるや否や、大勢の人たちが、癒しを求めてイエス・キリストのもとへとやってきた様子が描かれています。

 その際、マタイによる福音書は、この出来事をイザヤによって預言された事柄と結びつけています。

 「彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った。」

 この預言の言葉は、ただやがてやって来る救い主が病を癒してくださる、というに留まりません。そうではなく、私たちを蝕むあらゆる苦しみを、ご自身がその身に引き受けられ、悲惨と苦しみから解放してくださる救い主を預言しています。イエス・キリストは正にそういうお方です。あらゆる悲惨さの根本にある罪の問題をその身に引き受けてくださるお方なのです。

Copyright (C) 2024 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.