聖書を開こう 2024年3月28日(木)放送     聖書を開こう宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ:  地の塩、世の光(マタイ5:13-16)



 ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 わたしは一時期、旅先でお土産にご当地の塩を買って帰るのがマイブームだったことがあります。一口に塩と言っても、作り方や使う海水によって形も味も違います。塩は皆同じだと思っていたわたしにはちょっと衝撃的な発見でした。

 日本ではほとんど採れませんが、世界で使われている塩には岩塩と呼ばれる塩もあります。かつては海だったところが隆起して、干上がった海水が岩のように固まってできた塩です。世界の塩の生産量からいうと、3分の2ほどが岩塩だそうです。岩塩の方が海水塩よりメジャーだというのはちょっと意外です。

 しかし、色々な種類の塩があっても、共通しているのは「しょっぱさ」という塩独特の味です。塩のとりすぎは健康のためによくないといわれますが、まったく塩分のない生活も健康障害を引き起こすそうです。

 生活にとって欠かすことのできない塩をモチーフにした教えをイエス・キリストは山上の説教の中で語っています。

 それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書 マタイによる福音書 5章13節〜16節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」

 イエス・キリストはご自分の話を聞こうとして集まって来た人々に、小高い山の上から教えを話されました。マタイによる福音書の5章から7章にかけて、短い教えやたとえ話が記されているのがそれです。

 きょう取り上げた個所には、イエス・キリストに従う者たちが何者なのか、ということが二つのたとえで語られています。

 「あなたがたは地の塩である」「あなたがたは世の光である」とおっしゃっています。

 「あなたがたは地の塩であれ」でもなければ「あなたがたは世の光であれ」でもありません。「あなたがたは地の塩であるべきだ」でもなければ「あなたがたは世の光であるべきだ」でもありません。「あなたがたは地の塩である」「あなたがたは世の光である」とおっしゃっています。

 イエス・キリストに従う者が、すでに「地の塩」として立てられ、「世の光」としての使命を帯びたものとされているその恵みをしっかりと受け止めることが大切です。それと同時にイエス・キリストに従う者の存在の大きさを真摯に受け止める必要があります。

 塩は人間の生活にとって欠かすことができないものの一つです。その代表的な使い方が調味料としての使い方です。不思議なことですが、塩分の全くない料理は味気なさを感じます。それは体が必要なものとして塩気を欲しているからでしょう。もちろん塩分のとりすぎは言うまでもありませんが、適度な塩分は味を整え、必要なミネラルを補う働きがあります。

 もう一つの大切な働きは、腐敗を防ぐという働きです。野菜の漬物や肉の塩漬けはその典型的な使い方です。冷蔵庫がない時代には、食料を保存するために欠かすことのできない塩でした。

 現代では塩の用途はこの他にももっとたくさんあるでしょうけれども、昔から知られている用途の代表的な礼はこの二つです。

 サラリーという言葉があるのをご存じでしょう。今では給金という意味で使われますが、もともとは塩と関係した言葉です。その昔、ローマではお金の代わりに塩で給料を支払っていた名残です。それほどに塩は大切なものでした。

 以上、見てきた塩の使われ方から考えて、「あなたがたは地の塩である」という言葉が語ろうとしている意味を理解することができると思います。

 塩が料理の味を整えるように、キリストの弟子もこの世界を味気のないむなしい世界から、味気のある意味ある世界へと整える働きがあるということです。

 また、塩が食品の腐敗を防ぐように、キリストの弟子たちの存在もこの世が腐敗していくのを防ぐ働きがあるということです。

 日本にはクリスチャン人口が1パーセントにも満たないと言われています。100人に1人しかいない小さな存在が、しかし、この世の味を整え、腐敗を防いでいると主がおっしゃってくださっています。このことの厳粛さを覚えることが大切です。

 そして、そうであるからこそ、その塩味がなくなることへの警告をイエス・キリストは語っておられます。

 通常は塩が塩気を失うことは考えられません。しかし「地の塩」であるキリストの弟子にはその可能性が皆無ではありません。そもそもこの場面で「あなたがたは地の塩である」と語られている人々は、今、イエス・キリストの教えを聴いている人たちです。キリストの言葉を聴いている限りにおいて、地の塩であると言われているのです。逆に言えば、キリストの言葉に耳をふさぎ、そこから学ぶことをやめた瞬間、わたしたちは味気を失った塩となってしまいます。

 さて、イエス・キリストはご自分の話に耳を傾け、ご自分に従う者たちに、「あなたがたは世の光である」ともおっしゃっています。

 光にもいろいろな働きがありますが、わたしたちにとって一番のありがたみは、明るく照らすという働きです。その場合、光の源、光源にもいろいろあります。

 「山の上にある町は、隠れることができない」とおっしゃっている言葉から、そのイメージは太陽のような明るい光です。悪というのはたいていは隠れてするものです。物陰や暗闇に乗じて悪を働くのは、悪の世界の常識かもしれません。しかし、キリストに従う者の存在は、悪が隠れることができないほどに照らす光だと主はおっしゃっています。その場合の悪というのは、誰か特定の人が働く悪ばかりではありません。貧困や差別といった社会に蔓延する悪も含まれます。そうした社会の闇に光を照らすのがキリストの弟子の存在です。

 しかし、その光はランプのような小さな光にもたとえられています。ランプの光は決して遠くまでは届きません。しかし、周りを照らすその光でホっとした気持ちに人をさせます。殺伐とした自分の周りの世界に、ほんの一筋の光が差し込むだけで、パっと明るい気持ちにさせる、そんな光です。キリストの言葉に耳を傾け、キリストからあふれ出る愛に触れ続ける者たちを、イエス・キリストはそのような光に例えてくださっています。

 けれども、わたしたち自身がそのことに気がついていないかもしれません。あるいはそういわれて、自分が世の光であることを否定したくなってしまうかもしれません。しかし、「あなたがたは世の光である」とおっしゃるこのキリストの言葉に耳を傾け、自分の存在の大きさを自覚することが大切です。イエス・キリストは他でもないあなたを通して世に光を届かせようとしているからです。

Copyright (C) 2024 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.