聖書を開こう 2024年2月8日(木)放送

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ:  洗礼者ヨハネの登場(マタイ3:1-12)



 ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 福音書をどこから書き始めるのか、新約聖書にある四つの福音書は、それぞれ異なる記事から書き始めています。既に学んだようにマタイによる福音書はイエス・キリストの系図から。マルコによる福音書は洗礼者ヨハネの登場から。ルカによる福音書はテオフィロへの献呈の辞に続いて洗礼者ヨハネの誕生のいきさつから。そして、ヨハネによる福音書はイエス・キリストが地上に生まれる前、天地万物の創造に先だって存在していたロゴスであり神の子であるイエス・キリストの先在性、神性、そして万物との関係から福音書を書き始めています。

 しかし、四つの福音書に共通しているのは、イエス・キリストに先だって、洗礼者ヨハネが道を備えるために神から遣わされたこと、そして、洗礼者ヨハネ自身はメシアではなく、彼の後からお出でになるお方こそが待望のメシアであることを告げていることです。

 きょうはその洗礼者ヨハネについて、マタイによる福音書から学びたいと思います。

 それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書 マタイによる福音書 3章1節〜12節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。これは預言者イザヤによってこう言われている人である。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。そこで、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」

 マタイによる福音書は、「そのころ」という言葉で洗礼者ヨハネの登場を書き記しています。「そのころ」がいつの頃なのか、そのことを詳しく記しているのはルカによる福音書です。ルカによる福音書の記述によれば、洗礼者ヨハネが活動を始めたのは、「皇帝ティベリウスの治世の第15年」のことでした(ルカ3:1)。

 「皇帝ティベリウスの治世の第15年」という表現から、ヨハネの活動時期を正確に特定できそうに思われます。しかし実際は、ルカによる福音書の著者が皇帝ティベリウスの治世の第1年をどこから数え始めたのか、という問題があります。皇帝ティベリウスはその前の皇帝であるアウグストゥスと共同統治を行っていた時代が数年あります。その部分を含めて第15年なのか、それとも前の皇帝アウグストゥスが亡くなった後からの時代を数えて15年としているのか、仮にアウグストゥスの亡くなった直後、つまり西暦14年8月19日から統治の第1年をルカ福音書が数えているのだとすると、洗礼者ヨハネが活動を開始したのは西暦28年8月19日からから29年8月18日のどこかということになります。

 洗礼者ヨハネが宣べ伝えたのは「悔い改めよ。天の国は近づいた」というシンプルなメッセージでした。「天の国」というのは「神の国」の言い換えで、マタイによる福音書でしばしば「神の国」を「天の国」と言い換えています。

 悔い改めの要請と神の国の接近をテーマとしたメッセージは、イエス・キリストがガリラヤで宣教を開始されたときにも受け継がれています(マタイ4:17)。

 マタイによる福音書が洗礼者ヨハネを紹介するときに、その活動を預言者イザヤの預言の言葉の成就であるとして紹介しています。もちろん、このことはマルコによる福音書でもそのように紹介されていますので、マタイによる福音書の独自の観点とは言えません。しかし、既に見てきたように、マタイによる福音書はメシアに関わる一連の出来事を、預言の成就という観点からたびたび言及してきていますので、ここでもマタイにとっては預言の成就という観点は重要性をもっています。このような洗礼者ヨハネの運動は、単に時代的・社会的な要請から生まれた運動なのではなく、そこに神の積極的なかかわりをマタイによる福音書は見ています。

 そのような洗礼者ヨハネの呼びかけが、多くの人々に影響を与えた様子が描かれます。「エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた」と記されている通りです。このあたりの記述はほとんどマルコによる福音書と変わりありませんが、あえて違いを挙げるとすれば、マタイによる福音書は「ヨルダン川沿いの地方一帯」という言葉を加えています。その影響力が広範囲にわたっていたことを示しています。

 ちなみに洗礼者ヨハネについての歴史的な資料は、聖書ばかりではなく、西暦90年ごろに書かれたフラビウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』にも言及されています。こそでは、洗礼者ヨハネが義人であったこと、多くの民に影響を与えたこと、そして、ヘロデ・アンティパスの軍隊が敗北したのはヨハネを処刑したことに対する神からの罰であるという噂がユダヤで広まった様子を伝えています。

 このヨセフスが伝える洗礼者ヨハネの記述を見ても、ヨハネがどれほどの影響力を持っていたかが伺われます。

 マタイによる福音書はマルコによる福音書よりもさらに洗礼者ヨハネのメッセージの厳しさにも触れています。

 自分たちがアブラハムの子孫だという理由で救われると思う安易な思いに対する批判、既に根元に斧が置かれているという裁きの緊迫性、良い実を結ばない者に対する神の裁きの厳しさなど、洗礼者ヨハネのメッセージがいかに悔い改めの必要性を強調していたかが伺われます。

 これらのことを洗礼者ヨハネが伝えていたのは、来るべきお方、救い主イエス・キリストを迎えるための備えをするためでした。

 洗礼者ヨハネがその活動場所をヨルダン川としたのは、単に洗礼に必要な水が流れていたからではないでしょう。かつてイスラエルの民はこのヨルダン川を渡って、約束の地カナンへ入りました。しかし、エジプトを出たすべてのイスラエルの人が約束の地には入れたわけではありませんでした。その教訓を思い出させるように、ヨルダン川をその宣教の活動の場としたのでしょう。

 教会暦に従った聖書日課では、待降節の2番目の日曜日には、必ずこの洗礼者ヨハネの記事が読まれることになっています。既にイエス・キリストを救い主として受け入れた者も、また、これから信じて洗礼を受けようとする者も、もう一度、自分自身の罪を覚え、悔い改めて真摯にイエス・キリストに向き合うことが大切なのです。

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