メッセージ: 転々とするイエスの家族(マタイ2:13-23)
ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
イエス・キリストがお生まれになってから、洗礼を受けて宣教活動を開始されるまでの間、どのような暮らしをされていたか、聖書の中にはほとんどその記録がありません。きょう取り上げようとしているマタイによる福音書の個所にナザレに移り住むまでのことがわずかに記されているのと、ルカによる福音書2章が12歳になったときの出来事を記しているくらいです。
そういう意味では、地上でのイエス・キリストについて私たちが知っているのは、30数年の生涯のうちのほんの数年間のことだけです。言い換えれば、福音書の関心は、もっぱらイエス・キリストの生涯の最後の数年にあったということができると思います。
それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書 マタイによる福音書 2章13節〜23節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた2歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから。」ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。
今、お読みした個所には、占星術の学者たちが幼子のイエスを訪問して帰ってから、ナザレに移り住むまでの出来事が記されています。
ベツレヘムを訪問した占星術の学者たちは、生まれた幼子の居場所を教えるようにとヘロデ王から依頼されていました。表向きの理由は自分もそこへ行って拝みたいから、というものでしたが、実際はそうではありませんでした。これまでのヘロデ王の生き方は、ここにもそのまま表れています。それは、自分の王座を維持するためには、あらゆる敵を、たとえそれが身内のものであったとしても、暗殺してしまう残忍な生き方でした。
ユダヤに生まれた新しい王の知らせを耳にすると、ヘロデの心が不安にかられたことは既に見てきた通りです。その不安を取り除くためにヘロデがとった行動は、幼児の虐殺でした。それも、絞り込んだ標的ではなく、かなり広範囲にわたるものでした。虐殺の対象はベツレヘムとその周辺にいる2歳以下の男の子全員です。既にベツレヘムを離れているとかもしれないと思う猜疑心、占星術の学者たちが星を発見してからここにやって来るまでの日数を課題に計算するほどの念の入れよう、そのすべてにおいてヘロデ王の残忍さが表れています。
ちなみにこのヘロデ王による幼児の虐殺の記事は、他の歴史書には言及がないことから、その史実性を疑う人たちもいます。あるいは実際あったとしてもその数は歴史に書き残すほどのことでもないと思われたのかもしれません。
ここで私たちが注目すべき点は、マタイによる福音書が、この出来事を旧約聖書の預言と関連付けて理解しているという点です。
「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから。」
これはエレミヤ書31章15節からの引用です。
マタイによる福音書はここに限らず、イエス・キリストに関わる出来事を旧約聖書の預言の成就であるとする視点で描いています。外見的には御することのできないヘロデ王の残忍さが事件をもたらしたとしか思えません。そうであるなら、ヘロデ王を恐れるしかありません、
しかし、マタイによる福音書は違った見方でこの出来事を見ているのです。それは、このような悲惨な出来事もまた神の知らないところで起こった出来事ではないということです。すべてが神の御手の内にある、ということは、ある意味では考えたくもないことかもしれません。それこそ、神こそ残忍であるように思えてしまうからです。けれども、マタイ福音書の見方はそうではありません。どんなに残忍な人間の計画も、さらに大きな神の計画の中で、しかも、人間には理解を超えた益をもたらすために、確実に制御されているということです。そうでなければ、日々ことる様々な出来事によって私たちの信仰はもろくも崩れ去ってしまいます。
イエスの家族はというと、神のお告げによって一時エジプトに避難します。この出来事は、ただ単にヘロデの難を逃れて、命拾いしたことを告げるエピソードではなさそうです。読み込みすぎと言われてしまうかもしれませんが、旧約聖書の族長の時代に、飢饉での難を逃れてエジプトで暮らすようになったイスラエル民族の歴史を思い起こさせます。そして、彼らはやがて神によってエジプトの国から救い出された、新たな神の民として再出発します。
マタイによる福音書が記す、このエジプトへの避難と、そこから再びナザレへと導き出される様子は、かつて神がイスラエル民族のためになした救いの御業と重なります。救い主としてこれから立とうとするイエス・キリストご自身が、神の不思議な導きのもとに、かつて民族が体験した出エジプトの出来事を奇しくも通って人々の前に立たれるようにと定められているように見えます。
またマタイによる福音書は再びナザレに住むようになったその理由を、ただ単にヘロデの息子であるアルケラオからの迫害を恐れたからという消極的な記述で終わらせません。それもまた預言の成就であるという理解で、一貫してこの一連の出来事を書き記しています。
ただ実際には「彼はナザレの人と呼ばれる」という言葉そのものを記した預言書はありません。しかし、少なくともマタイ福音書の著者の頭の中には、旧約聖書のいくつかの言葉があったことは間違いありません。
ちなみにナザレという町に関していえば、そこは決して注目に値する町ではありませんでした。いえ、むしろ軽蔑される町でした。イエス・キリストの弟子となったナタナエルは「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と口にしたほどです。しかし、そこでの暮らしを敢えて選ばれた神のご計画には、神のもとから遣わされる救い主が、人々から蔑まれることをも経験し、徹底して身を低くして仕える者となることが織り込まれていたのでしょう。
そのようにして神が備え整えてくださった救い主に、このマタイによる福音書は私たちが出会うことを願っています。そのようにこの福音書をこれからも読み進めていきましょう。