ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
今年はマタイによる福音書から少しずつ学んでいきたいと思います。最後の章まで取り上げるのに二年以上かかると思いますが、どうぞ最後までお付き合いください。
これから取り上げようとしているマタイによる福音書は、12弟子の一人、徴税人のマタイ(マタイ9:9)が書いた福音書であると昔から語り継がれてきています。そして、新約聖書にある四つの福音書の中で最初に置かれているところから、四つの福音書の中で最初に書かれた福音書であると言われてきました。
ただ、誰がこの福音書を書いたのか、そして、それがいつ書かれたのか、ということは、この福音書の中には何も書かれてはいません。「マタイによる福音書」というこの書物のタイトルも、著者自身がつけたものではありません。
いつ誰の手によって何の目的のために書かれた福音書なのかは、学問的な研究の書物に委ねることにして、ここでは詳しく取り上げないことにします。ただし、これらのことを全く抜きにしてマタイによる福音書を解き明かすことはできません。わたしの場合、マタイによる福音書は最初に書かれた福音書ではなく、少なくともマルコによる福音書を知っていた誰かがこの書物を書いたという前提でこの書物に向き合うことにします。ただ、著者については便宜上「マタイ」という名前を使うことにします。
それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書 マタイによる福音書 1章14節〜17節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
マタイによる福音書はイエス・キリストの系図をもってこの書物を始めます。この点はマルコによる福音書の書きだしとは明らかに違います。マルコによる福音書はイエス・キリストの系図や誕生にまつわる話にはいっさい触れず、洗礼者ヨハネの登場とイエス・キリストが洗礼者ヨハネから洗礼をお受けになった話から福音書を始めています。それに対して、このマタイによる福音書は、これからこの書物の中心となるお方を、系図を遡って紹介しています。こうした違いにマタイとマルコの関心の違いを見いだすことができます。アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。
アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、エッサイはダビデ王をもうけた。
ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、ソロモンはレハブアムを、レハブアムはアビヤを、アビヤはアサを、アサはヨシャファトを、ヨシャファトはヨラムを、ヨラムはウジヤを、ウジヤはヨタムを、ヨタムはアハズを、アハズはヒゼキヤを、ヒゼキヤはマナセを、マナセはアモスを、アモスはヨシヤを、ヨシヤは、バビロンへ移住させられたころ、エコンヤとその兄弟たちをもうけた。
バビロンへ移住させられた後、エコンヤはシャルティエルをもうけ、シャルティエルはゼルバベルを、ゼルバベルはアビウドを、アビウドはエリアキムを、エリアキムはアゾルを、アゾルはサドクを、サドクはアキムを、アキムはエリウドを、エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。
こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。