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おはようございます。愛媛県松山市にある松山教会の久保浩文です。
9月も半ばを迎えました。4年に一度のオリンピックも終わりましたが、スポーツ選手のメダルを目指しての熱戦は、多くの観客に感動を与えてくれました。
古くからのスポーツの一つに、「相撲」があります。両国国技館を会場にして行われる「大相撲9月場所」は、今日が千秋楽です。身長、体重ともに私達とは比べものにはならない大柄な力士が、呼び出しの声と共に土俵に上がり、四股を踏んで、向き合います。行司の「はっけよい残った」というかけ声と共に、力士が組み合います。ものの一瞬で勝負がついてしまう取り組みもあれば、土俵際までお互いに譲らず、なかなか勝負がつかない取り組みもあります。見ている側も、固唾をのんで勝ち負けの行方を見守り、思わず力が入ります。
聖書にも、相撲を取った人の話が出てきます。「ヤコブ」という人です。ヤコブは、イスラエル民族の先祖になった人です。ヤコブは、双子の弟でしたが、母親のリベカの胎内にいる時から兄と押し合い、月が満ちていよいよ出産というとき、弟である赤子は、兄のかかとを掴んでいました。それに因んで、弟は、「引っ張る」という意味でヤコブと名付けられ、兄は全身が毛深かったので、エサウと名付けられました(創世記25:21-26参照)。
兄エサウは狩りの得意な野性的な人になり、弟ヤコブは反対におとなしく、いつも母親のそばで働いていました。ある時、年老いた父は、兄であるエサウが狩りで仕留めた獲物の料理を食べたいと言いました。それを耳にした母親とヤコブは、一計を案じて、目が見えにくくなった父を騙し、兄のエサウになりすまして、父の好物の料理を作って出し、本来は、兄が受けるべき長子としての祝福を横取りしてしまいました(創世記27:1-29参照)。
それを知った兄は、弟に対して激しい憎悪と殺意を抱きました。そこで弟のヤコブは、親元を離れて、母親の親戚筋に身を寄せることになりました。ヤコブはそこで、したたかなおじのもとで苦労を重ねながらも、神に守られ、妻や子、多くの財産を得ました。
長い時がたち、主なる神はヤコブに、「あなたは、あなたの故郷である先祖の土地に帰りなさい。わたしはあなたと共にいる。」(創世記31:3)と言われました。ヤコブは、主の言葉に従い、これまでに得た多くの財産を携え、妻や子供たちと共に、懐かしい生まれ故郷に帰ることになりました。
喜びと共に、心にかかる心配事がありました。それは、兄エサウとの再会でした。自分は父を騙して、長子である兄から祝福を奪ったのです。兄が、今尚自分に対して、敵意と殺意を抱いているのでは、と懸念を抱いていました。まさに明日、兄と再会するというその夜、何者かがヤコブの前に現れて、夜明けまで格闘しました。
年を重ねているとはいえ、ヤコブは、諦めることなく、執拗に相手を倒そうと闘いました。やがて相手が、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに、彼の関節がはずれました。ヤコブの相手は、主の使いでした。ヤコブは、主の祝福を求めて闘ったのです。主の使いはヤコブに、「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」(創世記32:29)と言われました。
闘いは終わり、太陽が昇りました。ヤコブは、腿を痛めて引きずっていました。彼はこれから後、恐らく生涯、足を引きずって生きていたことでしょう。ヤコブはこれまでは、父を騙し、兄を欺き、ずる賢く生きて来ました。しかし、この出来事を転機として、「欺く人ヤコブ」ではなく、「闘う人イスラエル」として生きていくことになります。そして、自分も他の人と変わることなく、弱さと罪をもち、罪と闘い、主なる神の憐れみと赦しによって生きている、というより、生かされていることを自覚したのです。
彼は、腿の痛みを覚えるたびに、神に赦され、生かされている自分を思ったことでしょう。私たちは、様々な弱さや罪をもっています。しかし主イエス・キリストが、私たちに代わって、罪と闘って勝利してくださいました。キリストのもとに集うとき、私たちは恐れることなく、祝福を求めることができるのです。