キリストへの時間 2024年9月8日(日)放送

久保浩文(松山教会牧師)

久保浩文(松山教会牧師)

メッセージ: 賞を得るように走りなさい

【高知放送】
     

【南海放送】
     

 おはようございます。愛媛県松山市にある松山教会の久保浩文です。
 今朝のお目覚めはいかがでしょうか。スポーツの秋となりました。ラジオをお聞きの皆様の中には、健康のために、早朝のジョギングや散歩を日課にしている方もおられるかもしれません。また、コロナ禍以来、混雑する公共交通機関を避けて、自転車通勤をされる方も増えたように思います。運動不足解消にもなって、一石二鳥というわけです。

 今年2024年は、第33回オリンピック競技大会が7月26日から8月11日までの約2週間、フランスのパリを中心に開催されました。この大会では、32競技329種目が実施されました。これらの競技に出場した多くの選手は、世界の各地から予選を勝ち抜いてきた選りすぐりの選手たちです。ひたむきに競技に打ち込む選手たちの姿は、人々に多くの感動と喜びを与えるものでした。

 4年に一度のオリンピックへの出場と勝利を目指して、彼らは、どれだけ厳しいトレーニングをしてきたことでしょうか。かつて、オリンピック発祥の地であるギリシアのオリンピアでは、4年目ごとにオリンピックが開かれていました。さらに、コリントという町の近郊では、コリントの名を冠した大競技会が、2年目ごとに開かれていました。

 競技場のことを「スタジアム」と呼びますが、この言葉は、ギリシアのランニングの距離「スタディオン」に由来しています。古代オリンピックで最初に行われた競技は、1スタディオン(約191メートル)を走る競走でした。この当時は、競走の他に拳闘(いわゆるボクシング)、レスリング、円盤投げ、跳躍の5種目の競技が行われていました。オリンピックの優勝者は、オリーブの枝で作られた冠、コリントの大競技会の優勝者には、松の枝で作られた冠が贈られました。当時のオリンピックも、多くの観戦者を熱狂させたことでしょう。

 競技をする人は、勝利を目指して、あらゆる努力をし、厳しい訓練やトレーニングにも耐え、様々なことに節制をしなければいけません。パウロという伝道者は、キリスト者の信仰生活を競技になぞらえて語っています。「競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。あなたがたも賞を得るように走りなさい。」(1コリント9:24)と勧めます。

 これは、キリスト者になると厳しい生活規範のようなものがあって、これまでは許されてきた事柄を自制しなければいけなくなる、ということでしょうか。あるいは、信仰生活という競技において、大勢のキリスト者たちの中でエリート信者となって、他の人を出し抜いて栄冠を得るように走りなさい、ということでしょうか。答えは、どちらも「ノー」です。

 これは、競技をする者が、どれほど張り詰めた思いで、賞をめざして力を尽くしているかを印象づけるための言葉です。主イエス・キリストを救い主と信じてキリスト者になると、罪の赦しをはじめとする、多くの恵みと祝福が与えられます。しかし、約束されている救いの恵みは、天の御国に引き上げられてはじめて、完全に実現します。

 それまで私たちは、キリスト者になってからも、この地上に生きている限りは、様々な困難や試練と戦わなくてはいけません。時と場合によっては、信仰さえも無くすような大きな試練に見舞われるかもしれません。そのような時も、私たちの救いの恵みは約束されています。主なる神が既に用意して下さっている、「天の御国」というゴールをめざして、ひたすら脇目も振らずに信仰の競争を忍耐強く走るのです。

 私たちが与えられるのは、いかに豪華できらびやかであっても、やがて朽ちていく冠ではなく、朽ちず、汚れず、萎まない義の栄冠です。しかも私たちは、やみくもに走るのではなく、私たちに先立って御国に凱旋された、主イエス・キリストを見つめながら、希望と忍耐をもって、ゴールにたどり着けるという信仰をもって走り続けるのです。主イエス・キリストは、信仰の創始者であり、完成者です。主イエスから目を離さないでいることが、信仰の勝利を得る唯一の道であり、方法なのです。



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