キリストへの時間 2024年9月1日(日)放送

久保浩文(松山教会牧師)

久保浩文(松山教会牧師)

メッセージ: 読んで、理解する

【高知放送】
     

【南海放送】
     

 おはようございます。愛媛県松山市にある松山教会の久保浩文です。
 夏休みも終わり、学校は9月から新学期が始まります。私が、小学校、中学校の頃、夏休みの宿題の中には、決まって読書感想文がありました。毎年、課題図書として挙げられる本を選んで、その本の感想文を書くのです。しかし、この課題図書の中には、自分が読みたいなと思う本がなかなかないもので、四苦八苦した経験があります。

 これからの季節、読書の秋といいますが、それは、暑い夏も去り、気候的にも過ごしやすく、日が暮れるのが早くなり、夜の時間が長いからだと言われています。普段は忙しく、ゆっくりと読書をする暇がなくても、この時期には、今まで読まなかった本を集中して読んでみよう、という方もおられるでしょう。

 私も読書は好きですが、仕事に関係のある本に偏ってしまい、本当に自分が読んでみたい本となると、なかなか読めないものです。新聞や雑誌の書評を頼りに、いずれそのうちに読もうと思って、とりあえず買ってはみるのですが、仕事に忙殺されて、その大半は机の横のラックに平積みにされたままです。

 「読書は人生を豊かにする」と言われていますように、読書を通して、人生観や教訓といった、生きていく上で必要な事を教えられたり、自分が経験したこともない、多くの事を居ながらにして豊富に知ることができたりもします。日本は、世界有数の出版王国と言われています。最近は電子書籍が出回り、紙の書籍が少なくなりましたが、連日のように新聞の新刊案内の広告を見ても、膨大な量の書物が出版されていることがわかります。ベストセラーのランク付けもされています。

 しかし、古今東西を見渡しても、世界のベストセラーと言われている書物は、「聖書」です。聖書は、「本の中の本」と言われ、世界の多くの言語に翻訳され、読者層も、子供から大人まで幅広い年齢層にわたっています。聖書ほど多くの人に読まれてきた本は、他に類を見ません。聖書は、今ではスマホやタブレットで、場所や時間に捉われずに読むことが出来ます。

 私の親の世代くらいまでは、教養の一つとして、青年時代に聖書を読んだことがあるという方が、周囲に結構おられました。現代でも、イエス・キリストの語られた格言的な教えや詩歌に心惹かれ、感動を覚える方も多いでしょう。

 イエス・キリストは、「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。」(ヨハネ5:39)と言われました。聖書は、神の言葉として、神の御子イエス・キリストとはいかなる御方であり、どのような事をなさったのかが記されているものです。そして、イエス・キリストを通して示された神御自身のことについて記されています。

 しかし、聖書を神の言葉として理解し、その中に示されているイエス・キリストの救いのお働きについて信じるためには、理解を助ける手引きと、聖霊という神の特別なお働きがなければ困難です。昔、エチオピアの女王に仕える高官が、遠路はるばるエルサレムまで礼拝に来て、帰る道すがら、買い求めた聖書を馬車の中で熱心に読んで、自分で解釈しようとしていました(使徒8:26-39参照)。

 そばを通りかかったフィリポという伝道者が高官に、「読んでいることがお分かりになりますか」(使徒8:30)と声をかけると、彼は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」(使徒8:31)と言って、フィリポに、一緒に馬車に乗って手引きしてくれるように頼みました。フィリポは求めに応じて、この人が読んでいたイザヤ書から、「イエスについて福音を告げ知らせ」(使徒8:35)ました。この時に、聖霊なる神が共に働いて高官の心をとらえ、この高官は、イエス・キリストを神の御子、救い主であると信じるに至ったのです。

 どうか、聖書に少しでも興味、関心がおありの方は、ご自分で聖書を読むことも大切ですが、そこに証しされているイエス・キリストをより深く理解して頂くために、是非とも教会の礼拝に出席して下さることをお勧めします。そして、イエス・キリストを神の御子、救い主として信じて下さることを願っています。



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