キリストへの時間 2024年8月25日(日)放送

石川亮(芸陽教会牧師)

石川亮(芸陽教会牧師)

メッセージ: 探し続ける神

【高知放送】
     

【南海放送】
     

 おはようございます。高知県安芸市本町2丁目、森澤病院裏手にある芸陽教会牧師、石川亮です。
 8月も最後の週になりましたので、私の担当は今週が最後になります。今朝も、ラジオを聞くあなたと共に、御言葉の恵みから喜びと平安に満たされて、9月へと向かう歩みを始めたいと願います。

 「アルプスの少女ハイジ」の登場人物の中には、主人公のハイジのおじいちゃんにあたる「アルムじい」が出てきます。彼のキャラクター設定は、アニメ版と小説版では少し異なるのですが、小説版では、アルムじいがクリスチャンであることが強調されています。

 若い時彼は、悪い人と付き合うようになり、酒と博打で身を滅ぼしてしまいます。彼には両親と弟がいましたが、両親は悲しみのあまり次々と亡くなり、弟は兄に対して怒り、家から出て行ってしまいます。アルムじい自身も家から出て行き、兵隊となります。時が過ぎ、彼は、息子のトビヤスを連れて故郷の町へと帰ってきます。しかし、彼の悪評は残ったままで、町の人とは上手くいかず、デリフリ村へ息子と共に移ります。しかし、そこでも彼は、村人と上手くいかず、教会にも行くことはありませんでした。

 やがて息子のトビヤスは成長し、アーデルハイドという女性と結婚します。しかしトビヤスは、仕事中の事故で死に、アーデルハイドも、悲しみのあまり亡くなってしまうのです。トビヤスとアーデルハイドの間には、ハイジが生まれていました。ハイジは、アーデルハイドの母親と妹に育てられるのですが、やがて、アルムじいのもとに預けられます。

 成長したハイジは、神のことを信じるようになります。以前のアルムじいは、神を信じ、教会へ行っていましたが、神を忘れ、教会から離れていました。そして彼は、神を忘れたから自分の息子は死に、何もかも悪くなったと考えていました。ですが、ハイジに、神を忘れても再び神のところへ戻っていけると言われ、彼は、自分の罪を悔い改め、再び神を信じる道を歩むようになるのです。

 このアルムじいの物語は、ルカ福音書15章にある「放蕩息子の物語」(ルカ15:11-24参照)によく似ています。この物語は、2人の息子がいて、その弟息子が、父親に対して財産を分けてほしいと言い出します。父親から財産を分け与えられた弟息子は、すぐにそれをお金に換えて旅立ちます。そして放蕩の限り、つまり、欲望の限りお金を使いまくります。しかし、飢饉に襲われた彼は、食べることにも苦労し、飢え死にしそうになります。その時彼は、父親のことを思い出し、父親のもとに帰ることにします。

 この弟息子の姿を見ていると、我儘を言い、まだ元気な父親から財産をもらい、欲望のままにお金を使い、ピンチになったら父親のところに帰ろうとする。なんと都合のよいことを考えるのだろうかと、私は思います。しかし、彼の父親は、彼を赦し、彼に良い服、宝石を与え、そればかりか、宴会を開くのです。父親は、自らの罪を認め、悔い改めた息子を赦しました。父親は、遠くにいた弟息子をいち早く発見していますが、それは、父親が毎日毎日、息子の帰りを待っていたからです。

 人は、神から離れて自分勝手に生きようとします。ですがそれは、天の父である神に対して罪を犯しているといえます。ただこの神は、イエスという方を信じて神のもとに帰るならば、必ず赦してくださいます。神は、とても愛情深いお方です。アルムじいも長い間、神から離れた生活をしていました。彼も自らの罪を認め、悔い改め、神のもとに帰りました。

 神は、ご自身から離れていった人たちが、再びご自分のもとに帰ってくることを望まれています。もし、ラジオを聞いているあなたが、神から離れている生活をしているなら、是非、神のもとに帰ってください。聖書の神は、父親が弟息子の帰りを毎日毎日待っていたのと同じように、あなたの帰りを毎日毎日待っているのです。



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