【高知放送】
【南海放送】
おはようございます。高知県安芸市本町二丁目、森澤病院裏手にある芸陽教会牧師、石川亮です。
今週も、この放送をお聞きくださるあなたと共に、御言葉の恵みにあずかることができることを嬉しく思います。
8月15日は、終戦記念日です。太平洋戦争が終結してから79年が経ちます。太平洋戦争時、高知市は幾度かの空襲にあっています。一番被害が大きかったのは、終戦直前の7月4日未明のものです。南国市に海軍航空隊の拠点がありましたので、南国市も空襲にあっています。高知市への空襲は、7月24日が最後だったようです。その日から約20日後に、戦争が終結したわけです。
しかし、太平洋戦争終結後も、朝鮮戦争に始まり、現在も様々な地域で戦争や紛争が起こり続けています。キリスト者は、平和活動家ではありません。しかし、マタイによる福音書5章9節には、「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」とイエスが言われていますから、決して、平和や戦争や紛争に関して無関心であってはならないことです。
新共同訳聖書では「平和を実現する人々」と、新改訳聖書では「平和を作る者」と翻訳されているこのギリシア語は、「エイレノポイオス」と言って、「平和」を意味する「エイレーネ」と、「作る」を意味する「ポイオー」が合わさってできた言葉です。平和を意味する「エイレーネ」という言葉は、「一緒になる」や「協力する」、「語る」や「話しかける」という意味の言葉を語源としたものです。それゆえ、人が争わずに話し合いが成立する、あるいは、一致して協力できる、すなわち「戦争のない平和の状態」の意味で用いられました。
では、私たちがどのようにして平和を創り出していくのか、ということに、考えたいと思います。これを考える上で外してはならないことは、聖書の言葉から「平和とは何か」を引き出すことです。聖書の言葉に立って行動することこそ、イエスが弟子であるキリスト者に求めていることです。山上の説教の中で、イエスは、私たちが求める答えを言っています。マタイによる福音書5章38節以下で、「復讐してはならない」とあります。「復讐しない」ということは、「相手を許す」ということです。
キリスト者が何を根拠に人を許すのか、と言いますと、5章44節にある「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」が示す通り、「愛」です。愛を持って人を許す…イエス様が求める平和は、愛がなくては実現不可能なものなのです。この愛は、神の愛、アガペーです。この愛は、価値や利益から優先される、一部の人に向けられるものではなく、その人そのものを受け入れ、すべての人に向けられる無償の愛です。
平和を創り出す者となるには、神の愛を実行する者となることが求められています。聖書は、あるいは聖書の神様は、いにしえからずーっと、平和を創り出すために行動しなさいと、人々に言ってきました。それは、主を畏れ、喜びと愛をもって平和の神と共に生きることです。つまり、神様に従い、神様の恵みによる喜びと愛をもって生きることが、平和を創り出すことにつながります。
残念ながら、私たちの力だけでは、不可能なのですが、しかし、神様から力と勇気と恵みが与えられることで、私たちにも平和を創り出すことが可能とさせるのです。聖書の神様は、私たちに、平和を創り出すための必要のすべてを与えてくださる愛なるお方です。
平和を創り出すとは、国単位からではなく、まず個人と個人との間から考えることです。神様との間に平和を持つ人たちの神様の愛が、平和を実現していくのです。ラジオを聞いているあなたも、イエスを信じ、神と和解し、神の愛を知ることで、平和を実現する人へと変えられるのです。