キリストへの時間 2024年7月21日(日)放送

申成日(広島教会牧師)

申成日(広島教会牧師)

メッセージ: 後悔の涙

【高知放送】
     

【南海放送】
     

 おはようございます。広島教会で牧師をしております申ともうします。
 今朝の気持ちはいかがでしょうか。今朝は、自分の行ったこと、自分の語ったことを憎み、後悔する涙についてお話を致します。

 新約聖書に、イエス・キリストの弟子の一人「ペトロ」という人がいます。この人は最もイエスに認められた人で、十二弟子の中でも、イエスがどこに行っても連れて行くような人でした。しかし、イエスが捕らえられ、十字架に架けられる前の夜、先生であるイエスに、次のような言葉を言われます。「はっきり言っておく。あなたは今夜、鶏が鳴く前に、3度わたしのことを知らないと言うだろう。」(マタイ26:34)

 ペトロは、このイエスの言葉に驚いたでしょう。そして、彼ははっきりと言います。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」(マタイ26:35)。ペトロは、このような強気の言葉を語りました。そして、そのことを聞いていた周りのほかの弟子たちも、皆同じように言いました。

 しかしその夜、イエスはユダヤ人に捕らえられ、イエスを殺そうとする人々の訴えによって、死刑を宣告されます。ペトロは、その様子を伺うために、ユダヤ人の大祭司の屋敷に忍び込みますが、直ぐにその正体が発覚しました。「イエスと一緒にいた人ではないか」と言われます。そこでペトロは、3度人々の前で、「わたしはそんな人を知らない」とイエスを否定しました。するとすぐに、鶏が鳴きました。

 その鶏の鳴き声を聞いたペトロの様子が、聖書に記されています。「ペトロは、『鶏が鳴く前に、あなたは3度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。」(マタイ26:75)「激しく泣いた」と言っていますが、この涙には、いろいろな複雑な思いがあると思います。

 まず彼は、真っ先に「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」、という言葉を思い起こしたでしょう。何という言葉を自分が言ったのか。自分が言ったことを後悔する涙です。また、自分の身の安全のために、イエスの予言通り、「イエスを知らない」と3度も否定してしまった自分の姿を、そして自分の弱さ、自分の無力さを憎む涙だったと思います。

 でも、このペトロの涙は、決して無駄には終わってはいませんでした。後に、イエスが復活し、天に昇られた後、ペトロは徹底的にイエスに倣って生き、イエスの復活を人々に伝えました。伝説によれば、最後は逆さまの十字架に掛かって殉教したと言われています。彼のこの涙は、彼が疑いもないイエスの弟子となり、死を迎えるまで、確信と喜びをもって生きる力の源となりました。

 わたしたちも、人生の中で、このような自分の言動を後悔し、憎む涙を経験したことがあると思います。それはきっと、私たちを成長させ、方向転換させ、新しいところに目が開く切っ掛けとなったでしょう。特に、イエス・キリストと出会ってクリスチャンとなられた人々は、皆このような経験をしています。それはとても尊い涙です。

 わたしたちは、いろいろなことを経験しながら、日々を過ごしています。その中で、まことの神を認めないまま、人の手で造った神などに望みをかけたりしたことはないでしょうか。今このメッセージを聞いているあなたに、神様が語り掛けて下さいます。「わたしの下に帰りなさい。」この神の優しい御声に応答して、悔い改めて神の下に立ち帰るあなたになりますように、お祈りいたします。



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