【高知放送】
【南海放送】
おはようございます。広島教会で牧師をしております申ともうします。
今朝の体調はいかがでしょうか。先週に続き、「涙」について、聖書の言葉を伺っています。
旧約聖書には、息子の死を悲しむ一人の人が出てきます。その人の名前は、「ダビデ」というイスラエルの王です。彼は、神への信仰が厚く、民からも尊敬と信頼を受けていた王でした。しかし彼には、一つ大きな悩みがありました。息子の中で、三番目の息子「アブサロム」という人がいましたが、この息子は、三男でありながら王座を狙っていた野望の人でした。
やがて彼は、父に背き、反逆を起こして父と戦いました。一時は、父であるダビデが追い込まれて、息子に王位を奪われそうになりましたが、結局は、ダビデの軍隊によって、アブサロムとそれに従う人々は全滅され、アブサロムは戦場で殺されました。それは、戦いの相手としてはとても嬉しい勝利の知らせです。けれどもダビデにとって、その相手は息子です。
「息子が戦場で死んだ」との知らせを聞いたダビデは、声を上げて激しく泣きました。「わたしの息子アブサロムよ、わたしの息子よ。わたしの息子アブサロムよ、わたしがお前に代わって死ねばよかった。アブサロム、わたしの息子よ、わたしの息子よ。」(サムエル下19:1)自分に背いて反逆を企てた息子ですが、そのような息子であっても、愛する息子であることは間違いありません。その息子の死の知らせに、王は激しく泣き、勝利を祝っていた軍人たちが王の泣き声に恥ずかしくなった、と聖書は記しています(サムエル下19:2-4参照)。
子を失った親の心は、いかに悲しいことでしょう。子のみならず、愛する家族、愛する友人、知人を亡くした人の思いは、心が裂けるほどの悲しみがあると思います。皆さんも、そのような思いを何度も経験されたでしょう。人々には見せなかったかもしれませんが、隠れた場所でこっそりと涙を流すこともあったと思います。
ダビデは、この息子以外にも、自らの罪によってもう一人の息子を死なせる悲しみを経験します。しかし、そのようなダビデに、神様は素晴らしい息子を与えてくださいました。その人こそ、旧約聖書のイスラエルの王の中でもっとも繁栄をした時の王、ソロモンです。
ダビデは、自ら書いた詩の中で、「あなたはわたしの嘆きを踊りに変え 粗布を脱がせ、喜びを帯としてくださいました。」(詩編30:12)と、神様を賛美しました。神様は、我々の悲しみの涙を拭ってくださる方です。また、その涙が喜びと変わるように、わたしたちに多くの恵みを与えてくださる方です。
特に、わたしたちを罪から救ってくださるために、御自分の愛する独り子イエス・キリストを死なせる方なのです。そのような神の愛に、今日も生かされていることを覚える一日となりますように、切にお祈りいたします。