キリストへの時間 2024年4月28日(日)放送  キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

高内信嗣(山田教会牧師)

高内信嗣(山田教会牧師)

メッセージ: 分かち合う場所

【高知放送】
     

【南海放送】
     

 おはようございます。高知県の山田教会で牧師をしています高内信嗣です。

 この前、『きっと、うまくいく』(監督:ラージクマール・ラヒーニ)というインド映画を観ました。とてもいい映画でした。スピルバーグ監督もこの映画を絶賛したようです。舞台は、インド屈指の難関工科大学です。父親にエンジニアになることを強要されたファルハーン。恐怖心から祈りが欠かせないラージュー、そして探求心が旺盛なランチョー。この三人はルームメイトになります。

 大学は熾烈な競争を強いる教育方針でした。学長が求めるものは、通知表に記されている成績、就職率、順位など、社会が成功と呼ぶものばかりです。大学は学問ではなく点の取り方を教えます。人を蹴落とし、自分の地位を確立していく教育方針です。そして、ある時、留年が確定した4年生の男性が、自ら命を絶ちます。競争を強いる大学の方針に苦しめられたからです。

 探求心がある主人公ランチョーはその教育へ疑問を覚え、真っ向から対立します。ルームメイトのファルハーンとラージューは、自由なランチョーに巻き込まれ、共に絆を深めて、共に協力していきます。この映画は、実際のインドの社会が背景になっているようです。インドでは、勉強や受験の競争社会で心が病んでしまう若者が後を絶ちません。コメディ要素が多く、インド映画特有のダンスもある映画ですが、そのような社会問題に対するメッセージ性が込められているのです。

 最近、SDGsという言葉が広く認知されておりますが、その取り組みの中で「共創社会」という言葉が使われるようになりました。競い争うという字の「競争社会」ではありません。共に創る・創造するという字の「共創社会」です。ネットの記事でこのようなことが書かれていました。今まで自分たちだけでは出てこなかったアイデア、自分たちだけでは成し遂げられなかった目標に対して、みんなでかかわりあって考えて解決していこう、というのが「共創社会」の考え方だということです。

 「自己責任」と言う言葉があります。この言葉を聞くととても悲しい気持ちになります。なぜなのかというと、社会全体が競争原理の中にあるからだと思います。もちろん、競い合って成長することもありますし、競争も大切な面があります。しかし、競争に負けた人々が「自己責任」と判断され、見下される現実が実際にあるのではないでしょうか。

 そういった競い争う社会において、希望を失い、心病む人は増えてきました。そのようなことを感じる中で、共に創るという字の「共創社会」という言葉は、とてもよい響きを持っていると思います。私たちの生きる世の中は、競争が絶えません。いつの時代も、争いが続いてきました。私たちはそのような社会を生きています。その中で、私たちが共に、協力し合って生きていくことができるならば、どんなに幸いなことでしょうか。

 ここで聖書を一箇所、お読みします。
 「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。」(使徒4:32)

 これは2000年前の最初のキリスト教会の様子です。初期のキリスト教会は、まだイエスのことを生で見たことがある人たちが多くいました。イエス様がこの地上でお働きをされていた時のリアリティーが生き生きと残っていた時代です。彼らはイエス様の姿に倣って歩んでいました。その一つの姿が「分かち合う」姿です。それぞれが自分のものを分かち合い、支え合う姿です。

 私たち一人ひとりは色々なものを持っています。自分をマイナスに捉える必要はありません。私たちには本当に豊かなものが与えられています。私たちは、他者のために自分の賜物を分かち合うことができます。

 教会はそのように自分の賜物を分かち合い、支え合う、愛の溢れた場所です。イエス様に愛された一人ひとりだからこそ、競い争うのではなく、共に支え合い、絆を深めます。

 今日は日曜日。教会で礼拝がささげられる日です。ぜひ、教会へ足を運んでみてください。



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