【高知放送】
【南海放送】
おはようございます。高知県の山田教会で牧師をしています高内信嗣です。
「スヌーピーたちの聖書のはなし」という本があります。スヌーピーはよくご存じだと思います。アメリカの「ピーナッツ」という漫画に登場する主人公チャーリー・ブラウンの飼い犬がスヌーピーです。スヌーピーは愛くるしい風貌から日本でも人気が高く、漫画の名前自体がスヌーピーと勘違いされるケースがあるみたいですが、実際は「ピーナッツ」という漫画で、主人公はチャーリー・ブラウンです。「スヌーピーたちの聖書のはなし」という本は、「ピーナッツ」という漫画のある場面をとりあげながら、聖書との関連を説明する本となっています。
さて、今日お話ししたいのは本の中で取り上げられていた一つの場面からです。ルーシーという個性的な女の子がいます。わがままで、口うるさく、すぐに怒ったり、意地悪をします。そのルーシーがチャーリー・ブラウンに話しかけます。「そもそもあなたの何がいけないか知ってる、チャーリー・ブラウン?」これに対して、チャーリー・ブラウンは「いや、でも知りたくない!ほっといてくれ!」と言ってその場を立ち去ります。するとルーシーは、立ち去るチャーリー・ブラウンに叫びます。「何がいけないのか聞こうとしないのがそもそもいけないのよ!」
ですが、ルーシーもいつも意地悪をする女の子です。ルーシーもまた聞く耳をもちません。彼女もまた同じなのです。どちらも自分の問題には気づかない。あったとしても聞こうとしない。チャーリー・ブラウンの問題に気付きながらも、自分の問題には甘いのです。
さて、聖書の中でイエス様は、このようにおっしゃっています。
「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。」(マタイ7:3-4)
おが屑とは、木をのこぎりで切った時に出てくる小さな粉のことです。イエス様がおっしゃりたいことは、他人の小さい問題(おが屑)にはすぐに目がいくのに、自分の大きな問題(丸太)を認識することができない、ということです。他人に厳しく、自分に甘い、ということです。この聖書の言葉から教えられるように自分の欠点、悪いところはなかなか気づけません。
ルーシーが「そもそもあなたの何がいけないか知ってる?」と語っているように、実は聖書という書物は、私たちの欠点をはっきりと伝えています。聖書は私たちが罪人であると教えています。欠けがあり、真の神様に目を向けず、愛せない。また、人を傷つけ、人を愛せない存在であることも教えています。その部分を読むと、聖書を閉じたくなってしまいます。誰も自分の欠点なんか聞きたくないと思います。
しかし、聖書はただ、私たちの欠点を伝えるだけではありません。聖書に登場するイエス・キリストというお方は、「あなたはダメだ」と言って、人間を見捨てたわけではありません。問題だらけの私たちを受け止めてくださいました。そして自ら十字架にお架かりになり、私たちの罪を背負ってくださったのです。
聖書を読むときに、私たちの欠けが示されるわけですが、同時に、イエス・キリストを通して、欠けだらけの私たちをお救いになる神様の大きな愛を知ることができます。
ぜひ、聖書を手に取って開いてみてください。そこに神様の大きな愛が豊かに示されています。