【高知放送】
【南海放送】
おはようございます。南与力町教会の坂尾連太郎です。
3月のメッセージを担当させていただきます。どうぞよろしくお願いします。
さて、旧約聖書の中にある詩編23編をご存知でしょうか。詩編は全部で150編ありますが、その中でも特に有名で、多くの人に愛されてきた詩編です。私も大好きな詩編の一つです。今朝は、その詩編23編の御言葉をご紹介したいと思います。1節から3節をお読みいたします。「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。」(詩編23:1-2)
この詩人は、「主こそが私の羊飼いである」と告白しています。自分自身は弱い羊に過ぎません。しかし、羊飼いである主が、私を導き、養い、休息を与えてくださる。たとえ魂が疲れ果てても、また生き返らせてくださる。だから、わたしには何も欠けることがない、乏しいことがない。そのように主への信頼を歌っているのです。ここに出てくる「主」とは、神様のことであり、また新約聖書を知っている私たちにとっては、主イエス・キリストのことでもあります。イエス様ご自身が、「わたしは良い羊飼いである」とヨハネ福音書10章11節で語っておられます。
私は、両親がクリスチャンの家庭で育ちました。小さい頃から親に連れられて、教会学校に通っていました。教会では、神様のこと、イエス様のことを教えられてきました。しかし私自身、この詩編23編が言い表しているような信仰に生きてきたかというと、そうではありませんでした。私は中学高校時代と、ほとんど教会に行かずに過ごしていました。
私は、昔から運動があまりできず、これといった特技もありませんでした。しかし、学校の勉強はがんばっていました。それは将来、良い高校、大学に入って、やがては良い企業に就職し、安定した生活を送るためでした。それが自分にとっての幸せだと思い、勉強に励んでいたのです。そして私は、見事第一志望の大学に合格することができました。その時、私はとてもうれしかったですし、「これで将来は安泰だ」と思っていました。
大学の合格が決まった後、親から誘われて、久しぶりに教会に行きました。そして改めて、詩編23編の御言葉に出会いました。4節では次のように言われています。「死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける。」(詩編23:4)この言葉を読んだ時、私は、自分にはこのような信仰はない、とはっきり思わされました。今は、志望校に合格し、将来への希望に満ちているけれども、もし、病気や事故などで、自分の思い描いていた道を歩めなくなったらどうだろうか、そう考えるととても怖かったのです。
私は、この詩人のように「死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない」と言うことはできない。そう認めざるを得ませんでした。そして私は、自分もこの詩人のような信仰をもって生きたい。順境の時も、逆境の時も、主が共にいてくださることを信じ、災いを恐れず生きていきたい、そう思ったのでした。そして、私は再び教会に通い、聖書の説き明かしである説教に熱心に耳を傾けるようになりました。そして、大学一年生のクリスマスに、信仰告白をしたのでした。
私は今、牧師をしています。世間的に見れば、牧師は、特別高収入でも、安定した職業でもないと思います。しかし、今の私には、かつてのような将来に対する恐れや心配はありません。それは、自分の力に自信があるからではありません。私自身は、弱く愚かな羊です。しかし、羊飼いである主イエス・キリストが、私を導き、養ってくださる。私のすべての必要を満たし、正しい道へと導いてくださる。たとえ災いや試練が降りかかって来た時にも、羊飼いである主が私を守り、助けてくださる。そのことが、私にとっての慰めであり、励ましです。
このラジオを聞いているお一人お一人も、「主は私の羊飼い、私には何も乏しいことがない」、そう信仰を告白しながら、主と共に、真に幸いな人生を歩めますようお祈りいたします。