いかがお過ごしですか。新潟教会牧師、長谷川はるひです。
今週は、新約聖書にある「フィレモンへの手紙」についてお話しています。
この手紙は、パウロが語ることをテモテが書き取ったと考えられています。その中に、「わたしパウロが自筆で書いています」(フィレモン19)という一文があります。テモテの文字で書かれた手紙の途中で、突然筆跡が変って、パウロの文字が現れたのかも知れません。あるいは、テモテの記した手紙の末尾に、パウロの署名があったのかも知れません。
いずれにせよ、パウロが自分で書いたと保証する内容は、オネシモがフィレモンに何か損害を与えたり、負債を負っていたりしていたら、それはパウロの借りにしておいて欲しい、パウロが支払う、ということです。その直後に、フィレモンもパウロに負債があるけれど、と書かれています。
クリスチャンは、イエスを信じて救われたことを、「罪の奴隷から買い取られた」と言います。オネシモもフィレモンもパウロも、イエスによって、罪の奴隷から買い取られたのです。三人とも神に負債を負っていましたが、キリストがそれを支払ってくださいました。パウロが自筆で書いたことは、フィレモンにそれを思い出させるのに十分だったでしょう。
パウロからフィレモンへの短い手紙は、わたしたちが罪の奴隷から買い取られたことを知らせる手紙です。だからこそ、教会で読まれ、写され、新約聖書に収められているのです。ぜひ皆さんも読んでみてください。