いかがお過ごしですか。新潟教会牧師、長谷川はるひです。
今週は、新約聖書にある「フィレモンへの手紙」についてお話しています。
手紙の差出人パウロは、宛先であるフィレモンに、かつてフィレモンの元から逃げ出した奴隷オネシモを送り返します。そして、オネシモを奴隷ではなく、奴隷以上の者として、愛する兄弟として迎えてくれと頼みます。パウロは、オネシモを手元に置いて、一人の人間としても、イエスを信じる者としても、愛する兄弟として接していました。それは、フィレモンにとってはなおさらそうであるはずだと、手紙には記されています。
主人と奴隷が、同じクリスチャンとして、愛する兄弟として、お互いを大切にする。21世紀に生きるわたしたちは、それがとても難しいことを知っています。1世紀のローマ帝国内のギリシア文化の世界で、この手紙が要求することが、どの程度に難しいことだったのかは分りません。しかし、イエスを救い主と信じる新しい共同体による、新しい価値観であったことは確かでしょう。
パウロは、オネシモを自分だと思って受け入れてくれと、さらに言葉を重ねます。自分の元を逃げ出した奴隷を、自分に信仰を伝えてくれたパウロだと思って受け入れる。フィレモンにとってそれは、大きな決断だったかもしれません。
あるいは、いなくなった奴隷を心配しており、元気で帰ってきてくれた、それだけでもうパウロに言われなくても受け入れる、そんな状況だったのかもしれません。どちらにしても、フィレモンは、オネシモを愛する兄弟として受け入れたのです。