あさのことば 2024年10月24日(木)放送

中山仰(花見川キリスト教会牧師)

中山仰(花見川キリスト教会牧師)

メッセージ: 洗礼を受ける恵み



 おはようございます。花見川キリスト教会牧師の中山仰です。
 今朝は、洗礼を受ける時の状況についてお話します。

 洗礼を受けるためには、私たちの教派では、それぞれの教会の役員会で試問して決定します。試問会では、教派によっては、あれができるかとか、これができるかと厳しく審議することがあるそうです。私たちは、イエスを救い主と信じるとはっきり告白する人であれば、誰でも受け入れます。

 イエスのくびきを負って生きて行く、と告白し、イエス・キリストを信じて委ねていけばよいのです。必要以上の善行を求める場合、無理な修行や無謀な献金の要求につながっていくことでしょう。それはまた、律法主義に逆戻りしかねません。牧師自身、神の前に罪深く、欠けている者なのです。自分にもできない高い基準を、どうして当てはめられるでしょうか。試問する皆様に対して、恵みの体験があるかなどという勤務評定とは違います。

 それは、結婚相手を選ぶときに似ているでしょう。世の中には、根堀り葉堀り問いただしたり、財産や容姿にこだわったりする人が中にはおられるようですが、そんな計算では、実際の結婚生活も家庭生活も、壊れてしまうことでしょう。自らを省みずに相手にだけ要求するということは、非人間的な態度だからです。

 問題は、他者に向けることではありません。神ご自身がそのような条件を一切付けていません。自分の功績とか良い資質で受け入れられるのではありません。救いは、神の側から一方的にもたらされます。本来、神の前に汚れているにもかかわらず、無条件に受け入れてくださいます。その恵みを受け止めるときに、感謝してこの身をささげていくように変えられます。ですから、救いは、驚くばかりの恵みなのです。

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