おはようございます。ご機嫌いかがでしょうか。私は、新所沢教会の牧師、長田と申します。
今週私が、キリスト教の信仰に関してお話をさせていただきます。
今日は日曜日です。キリスト教を信じている人たちは、週の初めの日曜日には教会に行きます。「毎週教会に行くなんて大変だね」と言われることもありますが、日曜日の礼拝は、毎週でも行きたくなる魅力に溢れています。友達と会えることが楽しい、という方がいます。讃美歌を歌うのが好き、という方もいます。礼拝の後にお茶を飲んだり、食事をしたりするのが楽しみ、という方もいます。
けれども、礼拝の一番の魅力は、そこで聖書の言葉が語られることです。聖書が語られる所には、私たちの救い主であるイエス様がいてくださいます。というよりも、イエス様は「神の言葉」と呼ばれるお方ですから、まさに聖書の言葉が語られる所こそ、私たちの救い主であるイエス様がおられる所なのです。
イエス様は今、私たちが目で見ることができる形では地上にはおられません。けれども、言葉が語られ聞かれる所に、目で見るよりも確実におられます。そして、救い主がおられる所には、救い主が与える命があるのです。日曜日の教会には、そこで行われる礼拝には、私たちの命が光り輝いています。だからこそ、礼拝は魅力に溢れているのです。
聖書をお読みします。「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。」(ヨハネ1:4)