おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
近年、「AI」という言葉をよく耳にするようになりました。その進歩は目覚ましく、文章を書いたり、翻訳したりする能力は、かなり人間に近くなっています。そのため、将来人間の手を借りなくてもよい職業が出てくるのではないかと危惧する人もいます。逆に人口が減少する社会では、AIの活用で、人手不足が解消できると楽観する人もいるようです。
AIの話は、一見キリスト教とは無関係なことのように思われますが、キリスト教の価値観から見て、危ぶまれる点がいくつかあります。といって、技術の進歩に水を差すつもりはありません。どんな技術の進歩も使うのは人間で、その人間の倫理観が問われているように思います。
隣人愛、正義、公平に価値観を置くキリスト教にとっても、AIが正しく利用されるように、最大の注意を払う必要があります。先ほども例を上げましたが、AIが失業をもたらす可能性もあります。利益だけを追及するAIの利用者が、他者の生活を脅かすことがないか、見守る必要を覚えます。
きょうのみ言葉「人よ、何が善であり 主が何をお前に求めておられるかは お前に告げられている。 正義を行い、慈しみを愛し へりくだって神と共に歩むこと、これである。」ミカ書6章8節