いかがお過ごしですか。上福岡教会の杉山です。
まだ子どもだった頃です。そのころは、キリスト教についての知識が何もありませんでした。ある時、漫画を読んでいますと、登場人物が、「天のお父様、助けてください」と祈っている場面がありました。「ああ、この人は父親を早くなくして、それでこんな風に祈っているのだろう」、そのように、このセリフを理解しました。
ところが、ずっと後になって、聖書を読むようになった時に、このような受け取り方が全く間違っていたことに気が付きました。新約聖書の最初にあります、マタイによる福音書を読むだけでも、イエスが神のことを「父」と言っている箇所が、次々に登場します。そればかりか、祈る時の呼びかけの言葉として、「父よ」と祈りなさいとまで教えています。自分の父親に話しかけるように祈りなさい、というのです。
もっとも、父親と言っても様々でしょうし、必ずしも、いつも関係が良好なわけではないかもしれません。けれども、私たちは心のどこかで、幼いころに感じていた、親に対する愛着のかけらのようなものを持っているのではないでしょうか。小さな子どもが親にすがるように、神に祈ってみてはどうだろうか、イエスはこのように言うのです。
しかも、その呼びかけは、「私の父」ではなく、「わたしたちの父」と呼ぼう、イエスはこのようにも言われます。イエス自身が「父」と呼ぶ方、それは、あなたにとっても「父」だし、あなたの隣にいる人にとっても「父」だ。だからみんなで、神を「父」と呼ぼう。このように言うのです。