ご機嫌いかがですか。所沢ニューライフ教会の玉井宣行です。
私たちの心の中には、無意識のうちに、自分をよく見せたい、自分の力を大きく見せたいという欲求があります。これは、すべての人が持っている欲求です。しかし、自分の価値を必要以上に大きく見せようとするとき、偽りの心が湧きあがって来ます。偽りの心が大きくなってくると、その心は、収拾がつかなくなってしまいます。世の中には、このような恐ろしい実例がたくさんあります。
キリストは、聖書の中で「祈ること」を例にあげて、次のように教えられました。「祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父(神)に祈りなさい。」(マタイ6:5-6)と。
相手と自分という相対的な見方しかできない人間が、隠れたところにおられる神の前に立たされるとき、そこには、変わることのない神と、いかようにも変わりやすい人間の関係が示されます。そのとき、自分の欲求に流され、世の嘘に流されながらさまよっている私たちは、神によって、自分の正しい立ち位置を見つけることができるのです。