おはようございます。湖北台教会の草野です。
今日も、旧約聖書に出てくる「安心して行きなさい」という言葉に聞きたいと思います。ただし、今日の箇所では、この言葉を自分勝手に利用して、したいようにすることへの戒めです。
この言葉が語られましたのは、ダンの一族の者たちです(士師17:1-18:31参照)。出エジプトしてカナンの土地に入ったイスラエルの民のうち、このダンの一族だけが嗣業の土地が見つからず、さまよっていました。彼らは、どこに行って良いものかわからず、あせる気持ちで一杯だったでしょう。
勇士5人を選んで、ある土地を探りに行かせます。すると彼らは、一人のユダ族の祭司に出会います。彼は、ミカという人物に雇われて、彼の祭司になっていました。ダンの5人は祭司に尋ねます、「我々の進めている旅がうまくいくかどうか知りたいのだが、神に問うていただきたい。」(士師18:5)。祭司は彼らにこう言います、「安心して行かれるがよい。主は、あなたたちのたどる旅路を見守っておられる」(士師18:6)。
しかし、この5人とダンの一族は、この後、蛮行を行って領土を得、さらにミカから祭司と彫像を奪って、自分たちの聖所を築きます。この行為を聖書は、「それぞれが自分の目に正しいとすることを行っていた。」(士師17:6)と評しています。
「安心して行きなさい」とは、決して安心して自分勝手に振舞いなさいと言うことではありません。主が私たちの旅路を見守ってくださることを信じ、神の御前に歩むことです。今日も、主の守りに自らを委ね、自身の欲ではなく、主の御心を尋ねながら歩んでまいりましょう。