おはようございます。湖北台教会の草野です。
詩編第32編の詩人は、罪赦された者の幸いを告げてこう詠います。「いかに幸いなことでしょう。背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。いかに幸いなことでしょう。主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。」(詩編32:1-2)
詩人は罪を抱えて生きていましたが、その日々は、苦しみの中で憔悴し、生きる力さえ奪われたものでした。詩人は主の前から隠れることができないことを悟り、包み隠さず罪を告白することを選びます。すると、主は赦しを与えてくださいました。
愛と慈しみの神は、赦しの恵みを準備して、私たちが罪を告白することを待っておられます。そして、罪を告白し、罪赦された者のことを「心に欺きのない人」と呼んでくださるのです。それが、私たちに備えられた「幸い」なのです。
今日も、各地の教会で礼拝が献げられます。その礼拝において、この「幸い」が準備されています。神の御子イエス・キリストが、私たちの罪の贖いとして十字架にかかり、その赦しの恵みで私たちの罪を覆ってくださろうと待っておられます。この招きに応えたいと思います。そこには、同じように悩みと重荷を主の御前に下ろし、主の慈しみに囲まれ、罪赦された喜びに満たされた兄弟姉妹たちがいるでしょう。