おはようございます。川越教会牧師、木村恭子です。
今週は、私の歩みを振り返りながらのお話、今日は大学生の頃の話です。
その頃私は、具体的に自分の将来のことを祈っていました。私の中では、神中心に考えた願いだったので、神は必ず聞き入れてくださると信じていました。けれど、祈りはことごとく聞かれませんでした。というより、少なくともそのときには聞かれなかったのです。神を信じて祈り求めても、どうしても聞かれない祈りがある。これは、私にとって苦しい経験でした。
そして、この経験から私が学んだことは、あまり先のことまで考えず、一歩一歩、歩みを進めるべきだ、ということ。遠い先まで見通せなくても、神様の中には私の人生の計画があるのだから、神の導きを信頼して、示されたことの中で歩みを進めればいい、ということでした。
新約聖書使徒言行録16章の6節から10節に、パウロという人が伝道旅行の途中で、行き先が決まらなくて苦労した様子が記されています。あっちへ行ってもこっちへ行っても止められ、行き先が定まらず、八方ふさがりでした。
そんな中で、神が最終的にパウロに示されたご計画は、ヨーロッパへの伝道でした。「パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである。」(使徒16:10)
祈りは、いつも聞かれるわけではありません。しかし、神の愛と導きを信じて祈り続ける中で、道が示されるということ、今ならわかります。