おはようございます。川越教会牧師、木村恭子です。
今朝は、私の歩みを振り返ってのお話です。
私の両親はクリスチャンではありませんでしたが、私は、幼い頃から教会に通っていました。母の友人に誘われたのです。母が教会に行くようになり、私と妹も、日曜日に教会学校に行くようになりました。最初は、子どものための礼拝、教会学校だけでしたが、小学生、中学生になっても通い続けました。中学生になると教会学校の礼拝、中学科の分級、大人の礼拝にも出席し、日曜日の午前中はずっと教会にいました。
どうして、こんなふうに続けられたのでしょうか。もちろん神様が招いてくださったのですが、私の側の理由を考えてみると、教会がとても居心地良かったのです。朝一番にお会いする教会学校の先生方、同年代の友だち、また夏期学校やクリスマス会など、楽しいイベントもあり、いろんな思い出があります。そういう中で、天地を創られた神様がおられること、自分の罪、イエス様の十字架と死と復活など、キリスト教信仰の中心的なことが心に蓄えられ、信仰がはぐくまれたのだと思います。
聖書の話、礼拝のメッセージを聴き続けることで、神様は、あなたの心に語りかけ、信じる者へと変えてくださいます。もちろん、大人になってからでも、高齢になっていても大丈夫です。新約聖書ヨハネ福音書にこう記されています。「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。」(ヨハネ20:31)