おはようございます。横浜中央教会牧師の大宮季三です。
聖書の中で、「これは難しい」と私がよく思う言葉は、「いつも喜んでいなさい」(1テサロニケ5:16)という言葉です。
先日、「喜びは選ぶもの」(ケイ・ウォレン著)という本を読みました。その中で、「喜びを失わせるもの」について触れられていました。まず、「忙しさ」が、喜びを失わせる要因の一つです。よく「現代人は忙しい」と言われますが、ギリシャの哲学者ソクラテスは、約2千年前に「忙しさは虚しさと繋がる」と指摘しています。忙しいとは「心を亡くす」と書きますが、それは、喜ぶ心を亡くすことだと言えます。
喜びを失わせるものの二つ目は、「完璧主義」です。「時間通りにできなかった」、「この電車に乗れなかった」といった、「できなかったこと」に心が奪われてしまう考え方です。この本の中には、「完璧主義者の中に心が平安に満たされている人はいない!」という言葉が出てきます。自分の計画通りに物事がすべて進むわけではないとわかっているはずなのですが、「できなかったこと探し」をしているような状態が、私もよくあります。
さて、聖書には、次のような言葉があります。「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」(1ペトロ5:7)忙しく、完璧を求める私たちですが、私たちのことを神様が、心にかけて心配してくださる、と聖書は語ります。
神様は、独り子であるイエス・キリストの命を私たちに与えるほどのお方です。忙しさや完璧主義から少し距離をとって、この神様が心にかけていてくださることに思いを向けてみませんか。ここに、忙しさや完璧主義からの解放があります。