おはようございます。松戸小金原教会の三川共基です。
12歳のうら若い少女マリアは、天使から、男の子を授かるというお告げを受けました。そして、このことを大きな喜びとして歌っていきます。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」(ルカ1:47)と。なんと麗しい歌、また祈りでしょうか。さぞかし、マリアにとってこのお告げは、喜びいっぱいのことだったのだろうと思わされます。
ところが、これは、マリアにとっては過酷な人生の始まりでした。マリアが天使のお告げを受けたとき、実は、ヨセフという男性と婚約していました。あと数か月もすれば結婚をし、待ちに待った結婚生活が始まります。その矢先に、神の力によって男の子を授かると言われたのです。
この時代、結婚するよりも前に子どもを授かったとなれば、直ちに処刑されてしまいます。それは、婚約者と神に対する裏切り行為だからです。このことをヨセフにどう伝えれば良いのでしょうか。当然、ヨセフもいい気分にはなりません。また、神の力によって子どもを授かると言って、一体誰がマリアの言葉を信じるでしょうか。
まだうら若い少女とはいえ、これから自分の身に降りかかるだろう事柄を、全くわからないわけではなかったでしょう。けれども、そうしたことをも含めて、神が自分とお腹の中の赤ん坊を守ってくださると信頼したのです。マリアの心は、まっすぐ救い主である神に向かっていたのです。