おはようございます。いかがお過ごしでしょうか。筑波みことば教会の朴徹です。
誰かを愛するということ、また、誰かから愛されるということは、本当にすばらしいことだと思います。私たち人間がほかの動物と違うのは、この「愛」という感情が豊かにあることではないでしょうか。
私たち人間がほかの誰かを愛するとき、その相手を私たちは選びます。顔立ちは自分の好みか、経済力はあるか、趣味や嗜好は合うか。自分の価値観で相手を評価し、点数をつけ、自分が認める人、自分にとって愛するにふさわしい人、そういう人は受け入れる。愛する。けれども、そうでない人は愛せない。遠ざけてしまう。そういうこともあると思います。
しかし、神様は私たち人間とは異なり、何かが優れているから、何かができるから、そういった理由で選んで愛するお方ではありません。神様が私たちを選ばれた理由はなにか?それは、逆説な理由となりますが、神様が私たちを愛されているからです。
旧約聖書申命記7章7節に、「主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは」という言葉があります。神様は実に、「心引かれる」ほどに、私たちを深く愛しておられるのです。ただ私たちを愛するゆえに、心引かれ、私たちの存在を喜び、選ばれたのです。そして、そのような神様の大きな愛を受け、私たちも神様を愛し、神様の愛を拠り所とする。それが、神様に選ばれた者のふさわしい生き方なのです。