いかがお過ごしでしょうか。せんげん台教会の川栄智章です。
旧約時代、神様はイスラエルの民に祭儀を通して、どのように礼拝を捧げたらよいのかを教えてくださいました。罪のための生贄を神さまのところに持ってくるように、民に命じられ、彼らは、供え物として羊や山羊や子牛を持っていき、祭司を通して献げました。
本来、罪人である本人が死ぬべきですが、代わりに動物が殺され、献げられたのです。一年に多くの犠牲が献げられ、人間の罪が、いかに深刻であるのかを教えられました。そして、罪は必ず死によって罰せられなければならないということを教えられました。この祭司制度は、実は神様が約束しておられた方を指し示していました。
ヘブライ書9章11節12節をお読みします。
「しかしキリストは、すでに実現している恵みの大祭司として来られました。人の手で造られたのではない、すなわち、この世のものではない、もっと大きく、もっと完全な幕屋を通り、雄山羊や若い雄牛の血によってではなく、ご自身の血によってただ一度聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。」(聖書協会共同訳)
罪のないイエス様は、人間の罪の支払いをするために、父なる神に対しご自身を生贄として献げられました。この生贄は、しみも傷もなく、大変価値がありましたので、ただ一度献げられるだけで十分でした。
イエス様の十字架の死は、神の民のすべての罪の支払いをし、神様と和解させてくださるのです。