おはようございます。花見川キリスト教会の中山仰です。
音声を録音するテープをご存知でしょうか。テープをダビングするときの元のテープをマスターテープと言います。では受け手のテープは何というのでしょうか。それはスレイブテープ、つまり奴隷という名がつけられています。奴隷のごとく忠実に動かないと役に立ちません。勝手なことをしたら使い物になりません。
私たちは、主イエス・キリストの奴隷です。主イエスをロードといいますが、その反対語は僕というと少し聞こえがよいのですが、つまり奴隷、スレイブなのです。しかし主は強引に鞭をもって、また機械的に縛り付けようとされません。喜びをもって縛っていると言ってよいのです。喜ばずにはおれないような方法でそっと包み込んでくれています。
マスターのテープに吹き込まれている礼拝の喜びを、そしてそこから天の父の御国の大宴会に参加し、喜びの望みの言葉を、私たちの空のテープに豊かに注ぎ込んで、移し込み、満たしてくださっています。そのための天国への招きが目的なのです。そのような招きをどうして断わるのでしょうか。躊躇する理由があるのでしょうか。受け入れて喜ぶところに命があるのです。
それを考えるならば、私たちは確かに罪人ですが、語弊を恐れずに言うならば、そんなことをいちいち心配することはありません。私は至らないものだ、などと止まっていないで、自分なりに思い切って飛び込み、至らないからこそ、主を信じて生きるほかないのではないでしょうか。それによってどんな豊かな神の業に生きることができるのか、ということを望みを持って信じ、そこに生きることができる喜びに進むことではないでしょうか。
私たちはすでに、そのように招かれている者たちなのです。感謝して主の御名を唱えつつ、礼拝に励みたいものです。