ごきげんいかがでしょうか。草加松原教会の川杉安美です。
新約聖書の中に、神様と信仰者との関係を、「親子関係」と「奴隷関係」に比較して教えるところがあります(ローマ8:12-17、ガラテヤ4-5:1参照)。奴隷の関係というのは、主人を恐れ、罰を受けないようにひたすら言いつけを守る、というものです。そのように、神様を恐れ、ひたすら神様の教えを守っていく、それが信仰生活だと考えてしまう人たちがいました。
それに対して、イエス・キリストを信じるということは、神様と親子関係になるというのが、本当のところなのです。確かに神様の教えや掟を守って生きていきます。しかしそれは、主人を恐れ、罰を受けないように言いつけを守る、というものではありません。むしろ、子供が親に喜んでもらいたいという思いで、親の言うことを守る、そういうものなのです。あるいは、神様の子供なのだから、神様の子供らしく、親に見習ってよいこと正しいことをする、というものなのです。
新約聖書ヨハネによる福音書の1章12節に、次のような言葉があります。「言は」、この場合の言とはイエス・キリストのことですが、「言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。」つまり、イエス・キリストを信じるなら、神の子とされるというのです。
キリスト教信仰生活というのは、神の子として生きる、安心した、守られた、のびのびとした、自由な、喜ばしいものなのです。たとえ苦難の中でも、父なる神様に守られ、支えられている、そういうものなのです。