ごきげんいかがでしょうか。草加松原教会の川杉安美です。
新約聖書ヘブライ人への手紙4章16節に、次のような言葉があります。「憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。」その時にかなった、ふさわしい助けをいただくために、大胆に神様に近づこう、と勧めています。これは、主イエス・キリストの恵みによってできることです。
イエス・キリストが十字架におかかりになった時、神殿にあった垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた、と聖書に記されています(マルコ15:38参照)。神殿にあった垂れ幕とは、言わば、神様と人間との間を隔てていた垂れ幕です。それがある限り、人は、勝手に神様に近づくことができませんでした。大祭司による特別の儀式が必要でした。
けれども、イエス・キリストが十字架におかかりになったことによって、その隔てが取り去られたのです。それで、人は、いつでもどこでも自由に神様に近づくことができるようになりました。聖書は勧めます。「大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。」
つい人は、何かささげものをしなければとか、立派な人間にならなければとか、多くの献金をしなければとか、神様に近づく条件を勝手に考えて、自分を縛りつけてしまいます。けれども、どんな人でもそのままで、大胆に神様に近づくことができるのです。それが、主イエス・キリストの十字架が開いてくださった道なのです。人は、誰でもそのままで、自由に神様に近づけるのです。助けをいただけるのです。