おはようございます。ご機嫌いかがでしょうか。新所沢教会の牧師、長田です。
今週は、私たち人間の自由ということについて考えていこうと思っています。
私は教会の牧師をしておりますので、時には相談に来られた方とお話しすることがあります。相談によっては、「それは止めた方がいいですよ」とか、「こうしたら良いですよ」などとアドバイスをすることもあります。それは、相手の方の理解や判断を修正し、もしかすると、その方の自由を制限することだ、と言えるかもしれません。
牧師は、聖書の神様の言葉について勉強していますので、神様が人の生き方について教えていることを、少しはお話しすることができるかもしれません。けれども、それは、牧師自身が他の人より正しいということではありません。牧師に限らず、私たちは皆、自分の考えこそが正しいものであると思いがちです。さらには、相手の間違いを指摘して、正しい道に導くことができるとさえ思いがちです。
でも実は、私たちは皆、多かれ少なかれ間違えています。自分が他の人より正しいなどと、決して言えるはずがありません。むしろ、本当に正しいお方は神様だけだ、と認めなければなりません。相手が誰であっても、自分の方が大きな間違いをしているかもしれない。そんなふうに自分を顧みるところからはじめて、私と相手、お互いの自由を生かす事ができるのです。
聖書を読みます。「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。」(マタイ7:3)