いかがお過ごしですか。上福岡教会の杉山です。
私たちは、何かと飽きやすく、あきらめやすい、ということはないでしょうか。あるいはそもそも、何かを始める前から、あれこれと言い訳をして、最初からあきらめてしまうことすらあるかもしれません。いやぁ、そうではない、もうすでに疲れているんだ、これ以上何も出てこない…そんな思いにさいなまれている方もあるかもしれません。その場合に、無理をして頑張る必要はありません。休むことも大切です。
けれども聖書には、こんな言葉もあります。「神の栄光の力に従い、あらゆる力によって強められ、どんなことも根気強く耐え忍ぶように。」(コロサイ1:11)実際の私たちの日常生活に起きてくるいろいろな問題事、そのようなことに出会っても、根気強く耐え忍ぶように。この言葉は、命令のように聞こえます。
しかし、それは、自分で頑張ってそうしなければならない、ということではありません。なぜなら、「あらゆる力によって強められ」と書いてあるからです。この「神の栄光の力」というところの「力」は、明らかに私たちの力ではありません。私たちは、普段全く気付いていないのですが、私たちの人生に神からの「あらゆる力」が届くということを、この聖書は記しています。
私が頑張って忍耐するのではなく、私たちの外から来る力によって忍耐強くしてもらう、ここぞ、という時にも強めてもらえる。実は、キリスト教会で語られているのは、このようにして、私たちの荷物を軽くして下さる方「キリスト」は、あなたとも関係があるという話です。