いかがお過ごしですか。上福岡教会の杉山です。
聖書には、「あなたがたのために天に蓄えられている希望」(コロサイ1:5)という言葉があります。希望があります。
一方、私たちには、大小さまざまな悩みがあるものです。ある人は、人間関係こそ悩みの原因だといいました。実際にこのところ、さまざまなハラスメントがネットでも話題となっています。確かに、どこでどんな仕事をしていても、人間関係は必ずついて回ります。そこから逃げることはできません。それに対して、もちろんさまざまな知恵があり、法律があり、カウンセリングや医療もあります。そういったものを適切に用いることは、大切です。
そういったことと切り離す必要はないのですが、聖書は、私たちを支えるものがもう一つある、それも決定的なものがある、と言います。それは、実は、神は私たちを愛し見守っている、という知らせです。しかもそれは、読んだり聞いたりすることができる「言葉」を通して伝わってくる、と言います。他でもありません。いまこうして、聖書についてお話をしていますこの言葉、そのもととなっております聖書そのもの、その言葉を少しづつ聞いていくことが、あなたの心を守る、聖書はこういうのです。
聖書の言葉を少しづつ聞くことで、「天に蓄えられている希望」が、私たちの中に流れてきます。天とは、神の領域です。そこには、制限はありません。あふれるほどの希望が、天から私たち一人一人に流れてくる、普段の生活に流れ込んできている、と聖書は証言しています。